旅日記「はるかな海より~ピースボートのボランティア(1)」

 娘が約三ヵ月間の「世界一周船の旅」から帰国して、三月末で一年になります。

(シンガポールに停泊中の「モナ・リザ号」)
 先だって、当時のボランティア通訳を含めたスタッフの、少し早めの「帰国一周年パーティー」が開かれ、楽しい時間を過ごしたようです。
 娘がニューヨークの大学を卒業したのは二〇〇八年五月。そして、東京で就職したのは二〇〇九年四月。長い休みの締めくくりを、ピースボートのボランティア通訳として南半球を一周したのでした。
 一月に出発した当初は、彼女の旅と同時進行で日記を公開できるのでは、と思っていたのですが、残念ながら叶いませんでした。思うように日記が届かなかったのです。
 通訳たちはCC(コミュニケーション・コーディネーター)と呼ばれるのだそうですが、その名の通り通訳業務だけではなく、役目が多岐にわたっていました。また、「水先案内人」の専門家が各寄港地から乗船し、講演会やセミナーが開かれるのですが、CCも専門的な知識の習得など、勉強しなければならないことが多々あったようです。
 さらに、乗船客へのサービスの一環として、舞台でのパフォーマンスのための台本作りや、女優!? に変身したりと、日記を書く時間もないほど忙しい日もあり、船酔いも二日酔いも・・・、だったようです。インターネットに接続できない地域もありました。
 そういう日々のなか、少しずつ日記が届くようになったのですが、今度は母である私の事情で公開が大幅に遅れてしまいました。
 また、帰国後二日目に入社式に臨んだ娘のそれからの新たな日々に、旅のことを詳しく聞く機会も持てず、あれやこれやで今になってしまったのです。ともあれ、二十三歳だった娘の船旅を、数々の写真とともに楽しんでいただければ、この上ない喜びです。

 以下、ほぼ原文のままです。
*は母が記しました。

(航路図)

二〇〇九年
一月十五日
「地球で遊ぶ。地球に学ぶ」
 いよいよピースボートの始まりだ。
 通訳スタッフは朝八時四十五分に、横浜港大桟橋集合。
 ターミナルを出て、私の視界はこれから乗船する「モナ・リザ号」でいっぱいに。煙突にモナ・リザの絵が描いてある美しい客船だ。
 お昼の十二時出航のため、私たち通訳は乗客の荷物運びを手伝うことになった。通訳(英語とスペイン語)は女性十人、男性一人。乗客は約七百名と聞いている。
 スウェーデン製のこの船、様々な国のクルーメンバーが乗っている。ロシア、ウクライナ、フィリピン、バリなど国際色豊かだ。モナ・リザ号の設備はなかなか豪華で、お酒は三カ所で飲めるし、朝、昼は二カ所のレストランで食べることが出来る。
 乗客もリピーターの方が大変多く、旅慣れた感じだ。今回の最高齢は、九十歳のおじいちゃん。一番若い子は中学生。バレエダンサーや学校の先生など、背景は様々だ。
 全員が乗船し、出航許可が下りて出航式が始まった。皆にシャンパンが振る舞われ、船から紙テープを投げ、「行ってきマース」と見送りの人たちに言い、手を振る。
 船が少しずつ動き始めた。時速三十キロで南半球を一周する船旅が、これから始まるのだと思うと本当にワクワクする。
 しかし、鹿児島あたりを通過した所で船がかなり揺れ始めた。日本付近は波が非常に荒いらしい。船酔いの薬はフロントでいくらでももらえるので、皆早めに飲んでいた。
 少し船酔いになりつつも同室のCCガール三人は、四人部屋で荷をほどき、レストランでは日本食を食べ大満足。ディナーはレストランで、前菜、メイン、デザートと、フルコースで楽しめる。
 慣れない船内生活、夜十時には皆寝てしまった。

十六日
 今日は避難訓練で一日が始まった。各部屋のベッドの下にオレンジ色の派手なライフジャケットが置いてある。ここで初めてデッキに出て、三百六十度海に囲まれていることに気づく。
 地球って本当に丸いんだなー。
 明後日には台湾に到着だが、日本に近い今はまだまだ寒い。
 私の通訳としての初仕事、担当はベトナム人のLeLy Hayslipさん。彼女は、非常に強いベトナムなまりの英語を話すため、今から彼女の講座での通訳が憂鬱に・・・。

 LeLy Hayslipさんは、「天と地」の著者であり、「グローバル・ヴィレッジ・ファウンデーション」の創設者。戦争に翻弄される彼女の半生を綴った自伝「天と地」は、オリバーストーン監督によって映画化され、世界中で大ヒットした。
 船上では、ベトナム戦争や彼女の歩んできた人生とともに、現在のベトナムで子どもの教育を支援するNGO「グローバル・ヴィレッジ・ファウンデーション」の活動について語ってくれる。

十七日
 「世界一周の船旅」と謳っているものの、約三ヵ月間のクルーズの中で実際に陸にいるのは二十日間前後。思いのほか船内生活が長いのだ。
 三百六十度海に囲まれ、陸を見ない生活も贅沢と思われるかもしれないが、慣れてしまうと少しつまらなくなってしまうだろう。「水先案内人」と呼ばれる専門家の方たちの講座がとても楽しみだ。
 ピースボートでは、各寄港地から「水先案内人」をゲストスピーカーにお招きして、様々な体験やいま最も旬な話題についての講座などを開いてもらう。
 Hayslipさんもその一人で、横浜からベトナムのダナンまで乗船していただくことになった。とてもエネルギッシュな人だ。

 今夜はフォーマルパーティーが開催された。皆ドレスアップをしてシャンパンを飲み、交流を深めていた。乗客の中には初めての海外という方たちもいるが、旅行好きな人も大勢いる。
 インドネシア、中国、ベトナムのアオザイなど民族衣装をまとった人、トルクメニスタンの帽子をかぶったおじいちゃんなど見ているだけで面白い。
 パーティー中も船は台湾に向かってどんどん進んでいる。今日のディナーテーブルの上には、二十四時を過ぎたら時計の針を一時間もどすようにと記載されたカードが置いてあった。

(紫色のストールが娘の美佳です)


 時差が発生するたびにカードが置かれ、時計を合わせる。日付変更線をまたぐまで、ちょっとずつ時間が遅れていく。そして帰路、日本に向かって日付変更線を通過した瞬間、それまで蓄えてきた? 二十四時間をすべて無くしてしまうそうだ。
 それから、船酔いにもレベルがあり、重度だと気持ち悪くなって吐いてしまうが、軽度だと眠くなってしまう。どうりで、毎回座るたびに強烈な眠気に襲われているわけだ。

十八日
 台湾到着! 起きるとすでに陸が見えている。Keelung(基隆)は台湾の中でも重要な港で、台北から車で二十分くらい離れた所に位置する。

 CCたちは、今日は一日中フリー。 CCとはCommunication Coordinatorの略で、なぜか私たちを通訳と呼びたくないらしい。
 私たちの仕事は通訳業務だけではなく、その国の文化や風習など、すべてをひっくるめてのコミュニケーションを取らなければならない。だから、CCとの名称がついているのだろう。
 基隆はもちろん台北より小さく、街並みも古い。屋台がすごく多く、CCガール十人と屋台をハシゴして楽しかった。


 その後、バスに乗って和平島公園という所に行くことにした。でも、どのバスに乗ったらいいのか分からず迷っていたら、優しい同年代の女の子が、「同じ方向に行くから一緒に行こう」と言ってくれて、皆でぞろぞろ後をついて行った。
 海岸岸の和平島公園は、浸食によって出来た不思議な形の岩がいっぱい立っている。二年前に大学の友人、マリアと訪れたトルコの世界遺産、カッパドキアのミニチュアという感じだった。


 同行してくれた女の子は、オーディオ関係のフィリップスで働くラヴァーンさん、二十五歳。私たちを公園まで案内し、また帰りのバスまで送ってくれた。
 バスを待っているとき彼女が、基隆でとれた海藻で作られたキャンディーを皆の分くれた。彼女の心遣いに皆感動。ちょっとしたことでもこんなに嬉しいと思うとは・・・。 これぞ、本当の現地交流だ!と楽しんだ一日だった。

 アン(アメリカの高校の同級生・台湾人)はどうしているかな? 台北の家に遊びに行き、アンとお母さん、おばあちゃんと私の四人でバリ島を旅行したことを思い出した。
 アンは、アメリカの大学時代にパリに一年留学していたんだよね。私はアンを訪ねてフランスにも行ったんだ。彼女はアメリカで望むような職に就けず、台湾に帰った。あんなに仲良しだったのに疎遠になってしまった。また連絡とらなくちゃ。


 母の携帯にメール。「台湾到着! 気温は二十三度。仕事は昼までで、残りは自由時間。知り合いのお嬢さんってKさん?」

*私の友人の、その友人のお嬢さんが「モナ・リザ号」で旅をするとの話を聞き、娘に伝えたのでした。人と人って限りなく繋がっているのですね。

十九日
 ベトナムに向けクルージング。

二十日
 台湾での楽しいひとときもどこへやら。今日のHayslipさんの通訳では、彼女の英語が聞き取りづらく、あたふたとしてしまった。胃が痛くなった。
 これまでは彼女の半生について、そしてベトナム戦争についてのかなり重い内容だった。しかし、明日はベトナム到着ということで、今日の講演は主にベトナムの文化と言語について。ベトナム語は、はっきり言って難しい。すでに「こんにちは」さえも忘れてしまった・・・。
 Hayslipさんとは今日の講演をもって終了だ。あっという間に終わったが、緊張のしっぱなしだった。いやはや、通訳とは常に本番なので気が抜けない仕事だなーっと実感した。しかし、聞きに来ていた人たちに「良かったよ」と言われ、疲れも一気に吹き飛んだ。

(赤いアオザイがLeLy Hayslipさん)
 船では毎晩「波平」という居酒屋がオープンしている。ここでは寿司、ラーメン、おにぎり、塩辛など様々な日本食があって、お酒も飲める。元気な時は、たいていここで皆と飲み食いして波に、お酒に酔っている。

*台湾からの絵ハガキ(娘が乗船した「モナ・リザ号」の写真)
「ママ・パパ
 おはよう! 台湾に着いたよ。今は午前九時半。今日は幸運にも十一時から十二時まで仕事があるだけで、後は何もしなくていいんだー。船にはだいぶ慣れたけど、初日は波が荒く、酔い止めをたくさん飲んだよ。
 昨日は最初の通訳業務があって、ちょっと緊張しました。私は、日本語→英語訳の方が英語→日本語訳より得意だと気づいたし、LeLy Hayslipさんからたくさんの事を学んだよ。 基隆にて 美佳」

*絵ハガキが他にケニアと南アフリカ、アルゼンチンから届きましたが、すべて英文のため私が訳しました。彼女が気に入ってくれる訳だといいのですけれど・・・。

二十一日
 ベトナムのダナンに到着。CCは全員、「ベトナムの若者と大交流」というコースに送り込まれた。
 ダナンの青年団、言わばベトナム版ボーイスカウト、ガールスカウトの子たちが日本人と交流するために様々な計画を立て、一日を共に過ごし交流を深めるという楽しい日である。
 下船すると早速十五歳から二十三歳の男女がお出迎え。日本人乗客と青年団のメンバーが一人ずつペアになった。

 バスで「青年会館」に移動する途中、車内では青年団の皆がベトナム国歌を歌いまくっていたが、私にはホーチミンしか聞き取れなかった・・・。
 社会主義国家に住むベトナム人にとって、この様な交流は大変貴重で皆すごく楽しみにしているという。団員全員は参加できないので、オーディションを開催してメンバーを選抜し、二週間前からいろいろな出し物を考えたのだとか。気合いの入れようが違う。
 青年会館では一緒に踊り、遊び、ゲームをし、お昼も食べて、あまり言葉は通じていないが楽しく過ごせた。そして午後は自由行動。バスに乗る前に作った即席ペアで、ダナンの市内観光をすることになった。
 私たちCC四人にはトン君が一緒に来てくれた。彼は日本語も英語も出来ない。青年団の人たちに配られていた「日本語単語リスト」を片手に基礎的な単語を並べて、なんとか意思の疎通を図ろうとしていた。
 私たちが紙を通して、ここに行きたい、あそこに行きたと言うと、ちゃんとタクシーに乗せて連れて行ってくれた。
 まずは手始めに、マーケットに行きたいと伝えたら、ダナン一高級なデパートに連れて行かれた。中に入るには、リュックや大きな鞄は預けないといけない。

 食料品売り場では写真撮影禁止のため、手持ちのデジカメをビニール袋に入れることに。「写真を撮ると警察に連行される」と、トン君が言った。
 物価は日本と比べると多少安いが、ワインなどは千円ほどするし、さほど安い感じは受けなかった。屋台で、ミークワンというピーナッツとレモングラスがたくさん入った麺を食べた。おいしかった。

 ダナン市内をかれこれ二時間歩き、疲れ果てた私たちはカフェに行きたいと伝えた。するとトン君は、ダナン一イケイケのクラブ兼カフェに連れて行ってくれた。そこではメニューと一緒にタバコが数本運ばれてくる。前菜の代わりだろうか・・・。皆当然のごとくタバコを吸っている。
 トンくんの単語帳に、「彼女はいますか?」という質問があったので、聞いてみると照れながら「いない」と一言。
 皆で「またベトナムに来たいね」って話をして、トン君に「ぜひ日本に来てね!」と言うと、ちょっと複雑な顔で「行けない」との返事が返ってきた。
 政治的な理由か、経済的な理由なのか分からなかったけど、彼らにとって海外旅行はあまり現実的な話ではないのかもしれない。だからその分、今日私たちが彼らを訪問したのが、本当にうれしいことなのだと気づかされた。


 トン君との時間もあっという間に過ぎ、出港の時間になってしまった。トン君が私の似顔絵を描いたカードを手渡してくれた。いつの間に描いたのだろう。絵の下には、「私たちは兄妹、またダナンに来てね」と書いてあった。
「今日一日、本当にありがとう」と言って、私たちCC四人は船に乗り込み、出港式までデッキでダナンの風景を眺めていた。

(こんなふうに盛大に見送ってくれたのですね)
 汽笛が鳴って、音楽が鳴り始めると同時に船が動き出した。私たちはトン君にずっと手を振り続け、彼は最後の最後まで、私たちが見えなくなるまで一人で手を振り続けてくれた。
 たった一日の交流だったけど、私たちとトン君との間には何の隔たりもなく、一人の人間として向き合い触れ合って、お互いに楽しめたことが本当にうれしかった。
 すごく真っすぐで、何事にも一生懸命だった青年団のメンバーたち。笑顔がとっても輝いていた。

二十二日
 次の寄港地、シンガポールに向けクルージング。

二十三日
 明日はシンガポール到着。船がマラッカ海峡を通過するのだが、なんとここは海賊多発地域。
 安全上の理由で夜はデッキが封鎖され、照明が落とされるとの説明を受けた。か、海賊!? とちょっと興奮した一日だった。

二十四日
 シンガポール到着。


 今日は、研修生というステータスでツアーに参加することに。ここは日本語ガイドが付くので、基本的に添乗員のお手伝いをする感じだ。
 シンガポールは近代的な都市で、高層ビルがいくつも建っている。日系企業の名前もたくさん見た。ゴミを捨てると罰金があるだけあって、さすがに街がとても綺麗だった。
 トロピカルで、温暖な気候ゆえにヤシの木がたくさん生えていた。アジアのいろいろな人種が混在している。なかでも一番多いのが中国系。旧正月を控え、チャイナタウンは新年のお祝いムードでいっぱいだ。


 通訳として乗船している私たちには、ツアー時も通訳業務が発生するが、一緒に組むツアー・リーダー(添乗員)との相性によって、一日がかなり左右されることが分かった。
 他のCCが一緒だった添乗員は、「両替ダメ、写真を撮っちゃダメ、けれど積極的にお客の写真を撮らなきゃダメッ」などと理解不能な事ばかり言ったそうで、そのCCはかなり不機嫌になっていた。あ~ぁ、そういう人に当たらないことを祈っておく・・・。

二十五日
 シンガポールからケニアまでの一週間の航海に、新しい水先案内人が乗船してきた。私の担当はNGO活動家であり、フリーライターでもある早川千晶さん。とってもエネルギッシュでパワフル。これからの講座がとても楽しみだ。

 早川さんは世界放浪の旅の後、ケニアに定住。現在は執筆活動のかたわら、ナイロビ最大級のスラム・キベラで、孤児・ストリートチルドレン・貧困児童のための寺子屋「マゴソスクール」の運営、スラム住民の生活向上プロジェクト、図書館作り、マサイ民族のコミュニティと共に行うエコツアーなどを手がけている。

二十六日
 今日は屋上のレストランで、フルーツパーティが開かれた。赤道にどんどん近づいているため、外は暑い! 暑い。
 マンゴー、パイナップル、スターフルーツ、ドラゴンフルーツにマンゴスチン。様々な果物でトロピカル気分を皆さん満喫中。

二十七日
 そろそろ「マラリア汚染地域」に到着ということで、マラリアの予防薬が配られた。
 飲んでも飲まなくても本人の自由だが、かかったときが面倒なので私は飲むことにした。食後に飲んだけど、胃がものすごく気持ち悪くなった。それだけ強烈な薬なのかなー。
 今日の早川さんの講座は「キベラ・スラム」について。

(早川さんの講座で奮闘中!?のCCガールズ)
 ナイロビにある、東アフリカ最大のキベラ・スラムには約八十万人もの人が住んでいる。この講座では、スラムに住む人々の日常を紹介していた。
 ゴミからあらゆる物を作る職人さんもいれば、売れないアーティストも。子供たちは、どんな過酷な状況に身を置いていても、学校に行けるという喜びで目が輝いている。
 スラムに住む人たちの笑顔には、裏表がない。まっすぐに、毎日を精一杯生きている人たちばかりだ。
 早川さんが運営する駆け込み寺「マゴソスクール」では、虐待を受けたり、ストリートチルドレンだった子供たちが、身を寄せ合って一緒に生きている。両親はいないのが当たり前。いても、捨てられてスラムに一人でやって来た子供もいる。
 スラムという言葉を聞くと、無秩序の混沌とした所を想像しがちだが、そこには独自のルールやシステムが存在する。スラムはスラムで、一つの社会が出来上がっているのだ。
「スラムはアフリカ社会が抱える問題の縮図だ」と、早川さんが言っていた。政治的に、経済的に、様々な国々に翻弄されたしわ寄せがアフリカの市民に降りかかっている。
 アフリカの問題と向き合って、初めてアフリカが近い存在に感じられた。私たちも間接的に、彼らの社会問題に関わっているのだと、気づかされた日だった。

二十八日
 今日の早川さんの講座は「マサイ族」について。
 日本ではなぜか、マサイ族は有名だ。誰もがその名前をきっと聞いたことがあるはず。彼らは狩猟採集民族でも、遊牧民でもない。家畜を飼って暮らす牧畜民なのだ。食料は牛肉と牛乳のみ。野菜は一切食べないので、栄養は極端に偏っている。
 彼らの間には、個人の所有という概念が全くない。すべてのものは、すべての人のためにある。一夫多妻制で、子供には特定の両親がいるわけではなく、皆の子供なのだ。
(ケニア・モンバサのマサイ族の男性と)

(マサイ村の青年と)

二十九日
 ケニア入港時には、ソマリア近くで海賊が出るので、その対策のためロケットランチャーを積んだケニア海軍の船が周りに来て守ってくれるらしい。
 赤道通過時刻は一月三十一日の深夜を予定していたけれど、ソマリア沖海賊対策のため、少し早めにずらしたんだとか。
 午後三時にモルディブを通過。海の色が、絵の具の青色をそのまま水に入れたくらい真っ青だった。ほんと海面は生きた宝石みたい!

三十日
 今日はアジアン・ファッションショーが開催された。ベトナムでアオザイを買ったので、せっかくだから私も出ることにした。
 八十歳のおばあちゃんがサリーを着ていたり、着物姿の人もいたり。船内が一気に華やかに!
(アオザイ姿のCCガールズ)

三十一日
 今朝十時に赤道通過! 明日は旧正月ということもあり、赤道通過記念パーティーとお正月を合わせたイベントが開催された。紅白歌合戦もあった。

(洋上英会話教室の先生方。赤いドレスの先生は、手話をしています)
 今クルーズ最高齢の九十歳と八十八歳のご夫婦は、なんと結婚六十五周年の記念日を赤道で迎えたらしい。なんて素敵な・・・。
 ちなみに五十周年記念日はネパールの山で迎えたとか。私も結婚したら彼らみたいに、いつまでも元気に仲良く暮らしたいな。

10年3月16日

小説「日本語ダイレクト」

 娘が約三ヵ月間の「世界一周船の旅」から帰国して、三月末で一年になります。

(シンガポールに停泊中の「モナ・リザ号」)
 先だって、当時のボランティア通訳を含めたスタッフの、少し早めの「帰国一周年パーティー」が開かれ、楽しい時間を過ごしたようです。
 娘がニューヨークの大学を卒業したのは二〇〇八年五月。そして、東京で就職したのは二〇〇九年四月。長い休みの締めくくりを、ピースボートのボランティア通訳として南半球を一周したのでした。
 一月に出発した当初は、彼女の旅と同時進行で日記を公開できるのでは、と思っていたのですが、残念ながら叶いませんでした。思うように日記が届かなかったのです。
 通訳たちはCC(コミュニケーション・コーディネーター)と呼ばれるのだそうですが、その名の通り通訳業務だけではなく、役目が多岐にわたっていました。また、「水先案内人」の専門家が各寄港地から乗船し、講演会やセミナーが開かれるのですが、CCも専門的な知識の習得など、勉強しなければならないことが多々あったようです。
 さらに、乗船客へのサービスの一環として、舞台でのパフォーマンスのための台本作りや、女優!? に変身したりと、日記を書く時間もないほど忙しい日もあり、船酔いも二日酔いも・・・、だったようです。インターネットに接続できない地域もありました。
 そういう日々のなか、少しずつ日記が届くようになったのですが、今度は母である私の事情で公開が大幅に遅れてしまいました。
 また、帰国後二日目に入社式に臨んだ娘のそれからの新たな日々に、旅のことを詳しく聞く機会も持てず、あれやこれやで今になってしまったのです。ともあれ、二十三歳だった娘の船旅を、数々の写真とともに楽しんでいただければ、この上ない喜びです。

 以下、ほぼ原文のままです。
*は母が記しました。

(航路図)

二〇〇九年
一月十五日
「地球で遊ぶ。地球に学ぶ」
 いよいよピースボートの始まりだ。
 通訳スタッフは朝八時四十五分に、横浜港大桟橋集合。
 ターミナルを出て、私の視界はこれから乗船する「モナ・リザ号」でいっぱいに。煙突にモナ・リザの絵が描いてある美しい客船だ。
 お昼の十二時出航のため、私たち通訳は乗客の荷物運びを手伝うことになった。通訳(英語とスペイン語)は女性十人、男性一人。乗客は約七百名と聞いている。
 スウェーデン製のこの船、様々な国のクルーメンバーが乗っている。ロシア、ウクライナ、フィリピン、バリなど国際色豊かだ。モナ・リザ号の設備はなかなか豪華で、お酒は三カ所で飲めるし、朝、昼は二カ所のレストランで食べることが出来る。
 乗客もリピーターの方が大変多く、旅慣れた感じだ。今回の最高齢は、九十歳のおじいちゃん。一番若い子は中学生。バレエダンサーや学校の先生など、背景は様々だ。
 全員が乗船し、出航許可が下りて出航式が始まった。皆にシャンパンが振る舞われ、船から紙テープを投げ、「行ってきマース」と見送りの人たちに言い、手を振る。
 船が少しずつ動き始めた。時速三十キロで南半球を一周する船旅が、これから始まるのだと思うと本当にワクワクする。
 しかし、鹿児島あたりを通過した所で船がかなり揺れ始めた。日本付近は波が非常に荒いらしい。船酔いの薬はフロントでいくらでももらえるので、皆早めに飲んでいた。
 少し船酔いになりつつも同室のCCガール三人は、四人部屋で荷をほどき、レストランでは日本食を食べ大満足。ディナーはレストランで、前菜、メイン、デザートと、フルコースで楽しめる。
 慣れない船内生活、夜十時には皆寝てしまった。

十六日
 今日は避難訓練で一日が始まった。各部屋のベッドの下にオレンジ色の派手なライフジャケットが置いてある。ここで初めてデッキに出て、三百六十度海に囲まれていることに気づく。
 地球って本当に丸いんだなー。
 明後日には台湾に到着だが、日本に近い今はまだまだ寒い。
 私の通訳としての初仕事、担当はベトナム人のLeLy Hayslipさん。彼女は、非常に強いベトナムなまりの英語を話すため、今から彼女の講座での通訳が憂鬱に・・・。

 LeLy Hayslipさんは、「天と地」の著者であり、「グローバル・ヴィレッジ・ファウンデーション」の創設者。戦争に翻弄される彼女の半生を綴った自伝「天と地」は、オリバーストーン監督によって映画化され、世界中で大ヒットした。
 船上では、ベトナム戦争や彼女の歩んできた人生とともに、現在のベトナムで子どもの教育を支援するNGO「グローバル・ヴィレッジ・ファウンデーション」の活動について語ってくれる。

十七日
 「世界一周の船旅」と謳っているものの、約三ヵ月間のクルーズの中で実際に陸にいるのは二十日間前後。思いのほか船内生活が長いのだ。
 三百六十度海に囲まれ、陸を見ない生活も贅沢と思われるかもしれないが、慣れてしまうと少しつまらなくなってしまうだろう。「水先案内人」と呼ばれる専門家の方たちの講座がとても楽しみだ。
 ピースボートでは、各寄港地から「水先案内人」をゲストスピーカーにお招きして、様々な体験やいま最も旬な話題についての講座などを開いてもらう。
 Hayslipさんもその一人で、横浜からベトナムのダナンまで乗船していただくことになった。とてもエネルギッシュな人だ。

 今夜はフォーマルパーティーが開催された。皆ドレスアップをしてシャンパンを飲み、交流を深めていた。乗客の中には初めての海外という方たちもいるが、旅行好きな人も大勢いる。
 インドネシア、中国、ベトナムのアオザイなど民族衣装をまとった人、トルクメニスタンの帽子をかぶったおじいちゃんなど見ているだけで面白い。
 パーティー中も船は台湾に向かってどんどん進んでいる。今日のディナーテーブルの上には、二十四時を過ぎたら時計の針を一時間もどすようにと記載されたカードが置いてあった。

(紫色のストールが娘の美佳です)


 時差が発生するたびにカードが置かれ、時計を合わせる。日付変更線をまたぐまで、ちょっとずつ時間が遅れていく。そして帰路、日本に向かって日付変更線を通過した瞬間、それまで蓄えてきた? 二十四時間をすべて無くしてしまうそうだ。
 それから、船酔いにもレベルがあり、重度だと気持ち悪くなって吐いてしまうが、軽度だと眠くなってしまう。どうりで、毎回座るたびに強烈な眠気に襲われているわけだ。

十八日
 台湾到着! 起きるとすでに陸が見えている。Keelung(基隆)は台湾の中でも重要な港で、台北から車で二十分くらい離れた所に位置する。

 CCたちは、今日は一日中フリー。 CCとはCommunication Coordinatorの略で、なぜか私たちを通訳と呼びたくないらしい。
 私たちの仕事は通訳業務だけではなく、その国の文化や風習など、すべてをひっくるめてのコミュニケーションを取らなければならない。だから、CCとの名称がついているのだろう。
 基隆はもちろん台北より小さく、街並みも古い。屋台がすごく多く、CCガール十人と屋台をハシゴして楽しかった。


 その後、バスに乗って和平島公園という所に行くことにした。でも、どのバスに乗ったらいいのか分からず迷っていたら、優しい同年代の女の子が、「同じ方向に行くから一緒に行こう」と言ってくれて、皆でぞろぞろ後をついて行った。
 海岸岸の和平島公園は、浸食によって出来た不思議な形の岩がいっぱい立っている。二年前に大学の友人、マリアと訪れたトルコの世界遺産、カッパドキアのミニチュアという感じだった。


 同行してくれた女の子は、オーディオ関係のフィリップスで働くラヴァーンさん、二十五歳。私たちを公園まで案内し、また帰りのバスまで送ってくれた。
 バスを待っているとき彼女が、基隆でとれた海藻で作られたキャンディーを皆の分くれた。彼女の心遣いに皆感動。ちょっとしたことでもこんなに嬉しいと思うとは・・・。 これぞ、本当の現地交流だ!と楽しんだ一日だった。

 アン(アメリカの高校の同級生・台湾人)はどうしているかな? 台北の家に遊びに行き、アンとお母さん、おばあちゃんと私の四人でバリ島を旅行したことを思い出した。
 アンは、アメリカの大学時代にパリに一年留学していたんだよね。私はアンを訪ねてフランスにも行ったんだ。彼女はアメリカで望むような職に就けず、台湾に帰った。あんなに仲良しだったのに疎遠になってしまった。また連絡とらなくちゃ。


 母の携帯にメール。「台湾到着! 気温は二十三度。仕事は昼までで、残りは自由時間。知り合いのお嬢さんってKさん?」

*私の友人の、その友人のお嬢さんが「モナ・リザ号」で旅をするとの話を聞き、娘に伝えたのでした。人と人って限りなく繋がっているのですね。

十九日
 ベトナムに向けクルージング。

二十日
 台湾での楽しいひとときもどこへやら。今日のHayslipさんの通訳では、彼女の英語が聞き取りづらく、あたふたとしてしまった。胃が痛くなった。
 これまでは彼女の半生について、そしてベトナム戦争についてのかなり重い内容だった。しかし、明日はベトナム到着ということで、今日の講演は主にベトナムの文化と言語について。ベトナム語は、はっきり言って難しい。すでに「こんにちは」さえも忘れてしまった・・・。
 Hayslipさんとは今日の講演をもって終了だ。あっという間に終わったが、緊張のしっぱなしだった。いやはや、通訳とは常に本番なので気が抜けない仕事だなーっと実感した。しかし、聞きに来ていた人たちに「良かったよ」と言われ、疲れも一気に吹き飛んだ。

(赤いアオザイがLeLy Hayslipさん)
 船では毎晩「波平」という居酒屋がオープンしている。ここでは寿司、ラーメン、おにぎり、塩辛など様々な日本食があって、お酒も飲める。元気な時は、たいていここで皆と飲み食いして波に、お酒に酔っている。

*台湾からの絵ハガキ(娘が乗船した「モナ・リザ号」の写真)
「ママ・パパ
 おはよう! 台湾に着いたよ。今は午前九時半。今日は幸運にも十一時から十二時まで仕事があるだけで、後は何もしなくていいんだー。船にはだいぶ慣れたけど、初日は波が荒く、酔い止めをたくさん飲んだよ。
 昨日は最初の通訳業務があって、ちょっと緊張しました。私は、日本語→英語訳の方が英語→日本語訳より得意だと気づいたし、LeLy Hayslipさんからたくさんの事を学んだよ。 基隆にて 美佳」

*絵ハガキが他にケニアと南アフリカ、アルゼンチンから届きましたが、すべて英文のため私が訳しました。彼女が気に入ってくれる訳だといいのですけれど・・・。

二十一日
 ベトナムのダナンに到着。CCは全員、「ベトナムの若者と大交流」というコースに送り込まれた。
 ダナンの青年団、言わばベトナム版ボーイスカウト、ガールスカウトの子たちが日本人と交流するために様々な計画を立て、一日を共に過ごし交流を深めるという楽しい日である。
 下船すると早速十五歳から二十三歳の男女がお出迎え。日本人乗客と青年団のメンバーが一人ずつペアになった。

 バスで「青年会館」に移動する途中、車内では青年団の皆がベトナム国歌を歌いまくっていたが、私にはホーチミンしか聞き取れなかった・・・。
 社会主義国家に住むベトナム人にとって、この様な交流は大変貴重で皆すごく楽しみにしているという。団員全員は参加できないので、オーディションを開催してメンバーを選抜し、二週間前からいろいろな出し物を考えたのだとか。気合いの入れようが違う。
 青年会館では一緒に踊り、遊び、ゲームをし、お昼も食べて、あまり言葉は通じていないが楽しく過ごせた。そして午後は自由行動。バスに乗る前に作った即席ペアで、ダナンの市内観光をすることになった。
 私たちCC四人にはトン君が一緒に来てくれた。彼は日本語も英語も出来ない。青年団の人たちに配られていた「日本語単語リスト」を片手に基礎的な単語を並べて、なんとか意思の疎通を図ろうとしていた。
 私たちが紙を通して、ここに行きたい、あそこに行きたと言うと、ちゃんとタクシーに乗せて連れて行ってくれた。
 まずは手始めに、マーケットに行きたいと伝えたら、ダナン一高級なデパートに連れて行かれた。中に入るには、リュックや大きな鞄は預けないといけない。

 食料品売り場では写真撮影禁止のため、手持ちのデジカメをビニール袋に入れることに。「写真を撮ると警察に連行される」と、トン君が言った。
 物価は日本と比べると多少安いが、ワインなどは千円ほどするし、さほど安い感じは受けなかった。屋台で、ミークワンというピーナッツとレモングラスがたくさん入った麺を食べた。おいしかった。

 ダナン市内をかれこれ二時間歩き、疲れ果てた私たちはカフェに行きたいと伝えた。するとトン君は、ダナン一イケイケのクラブ兼カフェに連れて行ってくれた。そこではメニューと一緒にタバコが数本運ばれてくる。前菜の代わりだろうか・・・。皆当然のごとくタバコを吸っている。
 トンくんの単語帳に、「彼女はいますか?」という質問があったので、聞いてみると照れながら「いない」と一言。
 皆で「またベトナムに来たいね」って話をして、トン君に「ぜひ日本に来てね!」と言うと、ちょっと複雑な顔で「行けない」との返事が返ってきた。
 政治的な理由か、経済的な理由なのか分からなかったけど、彼らにとって海外旅行はあまり現実的な話ではないのかもしれない。だからその分、今日私たちが彼らを訪問したのが、本当にうれしいことなのだと気づかされた。


 トン君との時間もあっという間に過ぎ、出港の時間になってしまった。トン君が私の似顔絵を描いたカードを手渡してくれた。いつの間に描いたのだろう。絵の下には、「私たちは兄妹、またダナンに来てね」と書いてあった。
「今日一日、本当にありがとう」と言って、私たちCC四人は船に乗り込み、出港式までデッキでダナンの風景を眺めていた。

(こんなふうに盛大に見送ってくれたのですね)
 汽笛が鳴って、音楽が鳴り始めると同時に船が動き出した。私たちはトン君にずっと手を振り続け、彼は最後の最後まで、私たちが見えなくなるまで一人で手を振り続けてくれた。
 たった一日の交流だったけど、私たちとトン君との間には何の隔たりもなく、一人の人間として向き合い触れ合って、お互いに楽しめたことが本当にうれしかった。
 すごく真っすぐで、何事にも一生懸命だった青年団のメンバーたち。笑顔がとっても輝いていた。

二十二日
 次の寄港地、シンガポールに向けクルージング。

二十三日
 明日はシンガポール到着。船がマラッカ海峡を通過するのだが、なんとここは海賊多発地域。
 安全上の理由で夜はデッキが封鎖され、照明が落とされるとの説明を受けた。か、海賊!? とちょっと興奮した一日だった。

二十四日
 シンガポール到着。


 今日は、研修生というステータスでツアーに参加することに。ここは日本語ガイドが付くので、基本的に添乗員のお手伝いをする感じだ。
 シンガポールは近代的な都市で、高層ビルがいくつも建っている。日系企業の名前もたくさん見た。ゴミを捨てると罰金があるだけあって、さすがに街がとても綺麗だった。
 トロピカルで、温暖な気候ゆえにヤシの木がたくさん生えていた。アジアのいろいろな人種が混在している。なかでも一番多いのが中国系。旧正月を控え、チャイナタウンは新年のお祝いムードでいっぱいだ。


 通訳として乗船している私たちには、ツアー時も通訳業務が発生するが、一緒に組むツアー・リーダー(添乗員)との相性によって、一日がかなり左右されることが分かった。
 他のCCが一緒だった添乗員は、「両替ダメ、写真を撮っちゃダメ、けれど積極的にお客の写真を撮らなきゃダメッ」などと理解不能な事ばかり言ったそうで、そのCCはかなり不機嫌になっていた。あ~ぁ、そういう人に当たらないことを祈っておく・・・。

二十五日
 シンガポールからケニアまでの一週間の航海に、新しい水先案内人が乗船してきた。私の担当はNGO活動家であり、フリーライターでもある早川千晶さん。とってもエネルギッシュでパワフル。これからの講座がとても楽しみだ。

 早川さんは世界放浪の旅の後、ケニアに定住。現在は執筆活動のかたわら、ナイロビ最大級のスラム・キベラで、孤児・ストリートチルドレン・貧困児童のための寺子屋「マゴソスクール」の運営、スラム住民の生活向上プロジェクト、図書館作り、マサイ民族のコミュニティと共に行うエコツアーなどを手がけている。

二十六日
 今日は屋上のレストランで、フルーツパーティが開かれた。赤道にどんどん近づいているため、外は暑い! 暑い。
 マンゴー、パイナップル、スターフルーツ、ドラゴンフルーツにマンゴスチン。様々な果物でトロピカル気分を皆さん満喫中。

二十七日
 そろそろ「マラリア汚染地域」に到着ということで、マラリアの予防薬が配られた。
 飲んでも飲まなくても本人の自由だが、かかったときが面倒なので私は飲むことにした。食後に飲んだけど、胃がものすごく気持ち悪くなった。それだけ強烈な薬なのかなー。
 今日の早川さんの講座は「キベラ・スラム」について。

(早川さんの講座で奮闘中!?のCCガールズ)
 ナイロビにある、東アフリカ最大のキベラ・スラムには約八十万人もの人が住んでいる。この講座では、スラムに住む人々の日常を紹介していた。
 ゴミからあらゆる物を作る職人さんもいれば、売れないアーティストも。子供たちは、どんな過酷な状況に身を置いていても、学校に行けるという喜びで目が輝いている。
 スラムに住む人たちの笑顔には、裏表がない。まっすぐに、毎日を精一杯生きている人たちばかりだ。
 早川さんが運営する駆け込み寺「マゴソスクール」では、虐待を受けたり、ストリートチルドレンだった子供たちが、身を寄せ合って一緒に生きている。両親はいないのが当たり前。いても、捨てられてスラムに一人でやって来た子供もいる。
 スラムという言葉を聞くと、無秩序の混沌とした所を想像しがちだが、そこには独自のルールやシステムが存在する。スラムはスラムで、一つの社会が出来上がっているのだ。
「スラムはアフリカ社会が抱える問題の縮図だ」と、早川さんが言っていた。政治的に、経済的に、様々な国々に翻弄されたしわ寄せがアフリカの市民に降りかかっている。
 アフリカの問題と向き合って、初めてアフリカが近い存在に感じられた。私たちも間接的に、彼らの社会問題に関わっているのだと、気づかされた日だった。

二十八日
 今日の早川さんの講座は「マサイ族」について。
 日本ではなぜか、マサイ族は有名だ。誰もがその名前をきっと聞いたことがあるはず。彼らは狩猟採集民族でも、遊牧民でもない。家畜を飼って暮らす牧畜民なのだ。食料は牛肉と牛乳のみ。野菜は一切食べないので、栄養は極端に偏っている。
 彼らの間には、個人の所有という概念が全くない。すべてのものは、すべての人のためにある。一夫多妻制で、子供には特定の両親がいるわけではなく、皆の子供なのだ。
(ケニア・モンバサのマサイ族の男性と)

(マサイ村の青年と)

二十九日
 ケニア入港時には、ソマリア近くで海賊が出るので、その対策のためロケットランチャーを積んだケニア海軍の船が周りに来て守ってくれるらしい。
 赤道通過時刻は一月三十一日の深夜を予定していたけれど、ソマリア沖海賊対策のため、少し早めにずらしたんだとか。
 午後三時にモルディブを通過。海の色が、絵の具の青色をそのまま水に入れたくらい真っ青だった。ほんと海面は生きた宝石みたい!

三十日
 今日はアジアン・ファッションショーが開催された。ベトナムでアオザイを買ったので、せっかくだから私も出ることにした。
 八十歳のおばあちゃんがサリーを着ていたり、着物姿の人もいたり。船内が一気に華やかに!
(アオザイ姿のCCガールズ)

三十一日
 今朝十時に赤道通過! 明日は旧正月ということもあり、赤道通過記念パーティーとお正月を合わせたイベントが開催された。紅白歌合戦もあった。

(洋上英会話教室の先生方。赤いドレスの先生は、手話をしています)
 今クルーズ最高齢の九十歳と八十八歳のご夫婦は、なんと結婚六十五周年の記念日を赤道で迎えたらしい。なんて素敵な・・・。
 ちなみに五十周年記念日はネパールの山で迎えたとか。私も結婚したら彼らみたいに、いつまでも元気に仲良く暮らしたいな。

08/4/26