旅日記「はるかな海より~ピースボートのボランティア(2)」

二月一日
 本日は船の上でのお正月。
美しい器に盛られた美しい彩りのおせち料理をいただく。とってもおいしくて幸せ!
 洋上餅つき大会があって、きな粉にあんこにお酒も出てきた。船にはいろいろな物が積んであるんだな~っと感心。
 なんと書き初めに百人一首大会も催された。私とルームメート二人は浴衣と着物を着て参戦。赤道直下の浴衣は、暑かった。

 午後はプールでバレーボールをして、ジャグジーに入って日陰で昼寝。上は空が一面に広がっていて、周りは見渡す限り真っ青な海!
 雲を見ていると、ゆっくり徐々に形を変えながら動いているのがよくわかる。月の位置も少しずつ動いて行き、地球は回っていると改めて実感。本当に幸せなひとときだった。

二日
 日に焼け過ぎて、肌が真っ赤に・・・。ヒリヒリ痛い。さすが赤道直下、太陽は日本と比べモノにならないくらい強かった。
 ぼぉーっと海を眺めていると、たまに鳥が一羽だけ突如現れる。船の周りをぐるぐる回ったり、風に乗ったりして遊んでいるようだ。インド洋の真ん中で、いったいどこから来てどこに行くのだろう。

三日
 のはらヒロコさんによるゴスペルクワイアー。

 のはらさんは、日本のゴスペルシンガーの第一人者で、亀淵友香さんを中心に1993年に結成されたゴスペルを主とするクワイアー『VOJA』に所属。語学を学ぼうと入った大学(ポルトガル語科)でブラジル音楽に触れ、歌うことに目覚めた。ゴスペルに興味を持ったのは、映画『天使のラブソング2』の影響とのこと。VOJAでの活動の他、女性三人組『HHMD』というコーラスユニットでのライヴ活動も行っている。船内でゴスペルチームを立ち上げ、コーラスの指導をしてくれた。

 二回目のマラリア予防薬を飲んだ。胃が気持ち悪い。明日はケニア到着だ。

四日
 ケニアのモンバサ到着!


 船から見える港は意外と普通。私は明日からオーバーランドツアー(船を一時離れて、各地を巡る寄港地プログラム)について行くので、今日は自由。
 一日暇なので、何をしようかと考えていたら、「モンバサ個人ツアー」を三時間四十ドルでやってくれる現地の女性ガイドを発見。少々お高いが安全を考えるとしかたがないかな。
 彼女の車に乗って市内へ。まずポルトガル人が建てたFort Jesus (要塞)へ行き、その後旧市街へ。モンバサは、アフリカの都市の中でも特にイスラム教徒が多い。黒い服に身を包んだ人たちを大勢見かけた。


 ガイドの話だと、近年のケニアの状況は悪化の一途らしい。二〇〇五年の大統領選挙の後、怒り狂った民衆があらゆる物を燃やし尽くしてしまった。今はお金を持っている人の間でも、食料不足は深刻だという。
 道端にはたくさんの物乞いをする人たちがいた。一人は足を切断したのか、切り離したくるぶしから下あたりの足が体の横に置いてあった。
 モンバサの市場で「カンガ」と「キコイ」という、アフリカの人たちが身に付ける布を買った。

 母の携帯にメール。「ケニア到着。日記たまりにたまってるけど、最近ネット接続がなくて。明日から九日間のサファリツアーに参加するぜ。モンバサ→タンザニア、ナイロビ→南アフリカへ飛行機で一気に行くよ」

*モンバサからの絵ハガキ(遠くまで続くトタン屋根のスラム街の写真)
「パパ・ママ
 JAMBO! (スワヒリ語でこんにちは)私は今、ケニアのモンバサ郵便局で、このハガキを書いています。太陽はものすごく強くて暑い(三十二度)。でも、本当にアフリカにいるんだって思うだけで興奮するよ。
 モンバサにはイスラム教徒がたくさんいます。それから、大統領選挙後の暴動で人々が食糧難に陥り、とても困っています。今日は、ガイドと一緒に市内観光に出かけたよ。市場でカンガとキコイっていう布を買ったんだ。すごくカラフルでビビッド。きれい~
 じゃ、元気でね! こっちはすごく楽しいよ。
 Asante Sana(アサンテサーナ) スワヒリ語で「どうもありがとう」という意味。
 この絵ハガキの売り上げの一部は、アフリカの子供たちを支援している団体に寄付されるよ。


(モンバサの郵便局)

五日
 オーバーランドツアーに出かける。
 ケニアのモンバサ空港から、タンザニアのキリマンジャロ国際空港へ。
 そして、サファリカーでマニャラ湖、ンゴロンゴロ自然保護区からセレンゲティ国立公園を巡り、再び国境を越えてケニアの首都ナイロビに行くというコース。

(モンバサ空港)

(キリマンジャロ国際空港)
 広大なアフリカの大地でのサファリツアー、九日間で北海道から沖縄まで縦断するくらいの距離を移動する。参加者は三十名ほど。サファリカー何台かに分乗した。
 ロッジで日本人ガイドと同じ部屋に泊まる。

六日
 マニャラ湖に向け車は走る。
 マニャラ湖は、大地溝帯(グレート・リフト・ヴァレイ)の谷底にある湖のうちの一つで、タンザニアでは一番小さい国立公園。
 大地溝帯は、紅海からエチオピアを縦断して、ケニア、タンザニア、モザンビークなどをつらぬき、インド洋へ抜ける巨大渓谷で、プレート境界の一つである。正断層で地面が割れ、落差百メートルを超える急な崖が随所にある。幅三十五~六十キロメートル、長さは七千キロメートルにも及ぶ。
 宇宙飛行士が初めて月面着陸に成功したとき、月からたった一つだけ確認できた地球上の創造物が、アフリカの大地溝帯だったそうだ。
 この地球の割れ目では、今も活発な地殻運動が続いているので、数千年後には新たな湖が出現するという。この地溝にあまたの野生生物が生息している。

七日
 車をどんどん走らせてマニャラ湖の脇までやってくると、道は大地溝帯を登り始め、雄大な景色が広がり出す。
 大地溝帯の下にマニャラ湖が広がっていて、バオバブの木などもたくさんある。素晴らしい眺め! お天気は良好。湖に向かって下って行く。バブーンやサルの群れに出会う。
 ゲートをくぐってしばらく森の中を走ると、やがて草原に出て視界が広がった。ゾウやキリンやシマウマが見える。イボイノシシ、インパラもいる。
 沼にはカバもいた。湖岸に何万羽ものフラミンゴやペリカンが。すごい風景だ。ここは大地溝帯からの湧き水が豊富で森林が発達している。サバンナも湿原もあり、動物の生活環境は多様性に富んでいる。鳥類もたくさんいて、バードウオッチングにも最適な自然の宝庫である

 湖の水面は標高九百六十メートル、断層崖の頂上は千五百メートルを越える。
 樹齢二千年のバオバブと一緒に写真に収まった。
(幹の直径十メートルもありそうなバオバブの木)

八、九日
 ンゴロンゴロ自然保護区にて。
 自然保護区というのは、国立公園の一部を独立させ、人間と野生生物の共存を図っている地域で、噴火口(ンゴロンゴロ・クレーター)とその周囲の広大なサバンナ、及び山岳地帯からなっている


一九七九年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。ンゴロンゴロとはマサイ語で「巨大な穴」という意味。この巨大な穴は二百~三百万年前に大噴火を起こした火山の、火口部分の陥没によってできた。直径約二十キロメートル、深さ五百メートルほどの大きなくぼ地と、周囲約六十キロメートルを取り囲む外輪山がほぼ完全な形で残っている。


 クレーター内は外輪山に囲まれることによって、乾季の影響を受けないため、年間を通して水と緑に恵まれている。ほとんどの動物は、ここで一生を過ごす。
 ここではビッグ・ファイブ(BIG5)と呼ばれるライオン、ゾウ、ヒョウ、バッファロー、サイの他にチータやヌーやシマウマ、ジャッカルなど、また湖ではフラミンゴにカバ、ダチョウに水鳥など、多くの動物を次から次へと見ることができた。
 まったく自然ってすごいなっー、と思う。ちなみに、ビッグ・ファイブはその昔、狩猟をするときに危険を伴う動物として、そう呼ばれるようになった。


(白い花のような小鳥たち)

十、十一日
 大地溝帯の崖の上に建てられたロッジの朝は神秘的で幻想的だ。真紅のバラのような色をした朝の光が辺り一帯を染めていく。下方のクレーターには、たくさんの動物の姿が見える。ここの朝焼けはオレンジ系の赤ではない。特別の色なのだ。神々しい光景だった。

(ロッジにて)
 ンゴロンゴロ・クレーターの外縁を下り、大草原の一本道をひらすら走ってセレンゲティ国立公園に到着。未舗装の道路を砂塵を巻き上げながら車は走る。一部の道路は舗装されていて、ドライバーはそこでは百キロを超えるスピードを出していた。タンザニアの道路整備は、日本のODAによる「k社」が手がけたという。


 セレンゲティは自然保護を目的とした国立公園で、一九八一年に世界遺産(自然遺産)に登録された。キリマンジャロの裾野に広がるサバンナ地帯にあり、東アフリカを代表する国立公園。広大なサバンナを中心に低木林や岩山があり、様々な動物が三百万頭生息している。
セレンゲティとはマサイ語で「大地がどこまでも続く場所」という意味で、その面積は四国より広い。三百六十度空と雲。そして一面の緑の草原。この雄大なサバンナの風景には、皆すごく感動していた。
 見渡す限りの大草原の中に数え切れないほどのヌーやシマウマの群れがいる。ヌーが横切る度にドライバーは車を止めた。ヌーとシマウマは同じイネ科の草を食べる。でも、シマウマは草の先端を、ヌーは根元を食べるために仲良く共存できるらしい。


(サバンナの花)
 果てしなく広がる草原では、つねに新鮮な草や水を探し求めるたくさんの移動草食動物が見られる。移動の時期になると毎年ケニアのマサイ・マラ動物保護区へ向かうヌーは、その数百万頭ともいわれる。

(ヌーの群れ)


 ここで見たライオンのたてがみも被毛も、すごく美しかった。また、群れていることが多い動物の中で、チータとヒョウだけは単独行動をするんだとか。
 獲物を仕留め、注意深く周囲を見渡しながら、それを食べ尽くし、口の周りを赤く染めた満足そうなチータの一部始終を目撃した。


 他にキリン、ハイエナ、イボイノシシ、インパラ、バブーンなどもいた。ゾウは、スリランカとタイで見たことがあるけれど、アフリカゾウが一番大きく、すごい迫力だった。
 野生動物の気高さを感じるような、しなやかで美しい姿に触れ、私はもう動物園へは行けない、そう思った。弱肉強食の世界だから、優れた体、被毛、毛並み、生殖能力を持ち合わせた動物のみが生き残る。


 人類発祥の地として知られるオルドバイ渓谷も訪れた。ここは人類の祖先の化石が多数発見された場所。渓谷を見下ろせる丘に博物館があり、類人猿の化石や石器などが多数展示されている。三百六十万年前の類人猿の足跡のレプリカもあった。
(オルドバイ渓谷)

(人類の祖先の足跡です)
 辺り一帯では今も世界中の大学が共同で発掘作業を続けており、私が卒業したニューヨーク州立大学の教授も参加している。
 父へのおみやげに類人猿がプリントされたTシャツを買った。
 大地溝帯で地球の裂け目を見、あまりにも大きな地形、あまりにも開けた風景に言葉にできない感動を覚えた。大地が鼓動している! 地球は生きている!!

(運転手さんと)

(キリマンジャロ)

十二日
 ケニアの首都ナイロビへ。
 途中、マサイ村に立ち寄った。住民が歌と踊りで私たちを歓迎してくれた。彼らの家は牛の糞を乾燥させたもので作られている。火を起こす作業を実演して見せてくれた。


(マサイ村のおみやげ屋さん)
 ナイロビはマサイ語で「冷たい水」を意味する。人口は二百万人。観光バスの中から、政治、経済、文化の中心である市内を見学した。女性のスタイルはモダンでとてもファッショナブル。
 面白かったのは、派手な装飾をほどこしたタクシーがたくさんいること。タクシーの人気度は、デコレーションの派手さ加減によって決まるという。

(ナイロビ市内)
 早川さんの講座で学んだ「キベラ・スラム」の横をバスがゆっくり通り過ぎた。

十三日
 ナイロビから飛行機で南アフリカへ。
「モナ・リザ号」と合流。久しぶりにCCたちに会えた。すごくうれしい!

(世界遺産のテーブル・マウンテン)

(南アフリカのアシカ)

(南アフリカのペンギン)

十四日
 午後一時、 ケープタウン出港。

*ケープタウンからの絵ハガキ(喜望峰とペンギン、サル、美しい花や小鳥の写真)
「パパ・ママ
 私は今、アフリカ大陸の最南端にいます。喜望峰から海を見渡しているけど、インド洋と大西洋がぶつかりあう壮大な風景が広がっています。風が強いので、樹木が風の向きに斜めに立っているのを見たよ。
 アフリカの人たちは、親切でやさしい心の温かい人ばかり。アフリカは遠い国だと思っていたけど、今は全然そんな感じはしないよ。
 昔、パパがアフリカの人たちは本当に美しいと言っていた。今の私にはパパが何故そう言ったか、とても分かる気がします。 美佳」

(喜望峰にて)

*娘の父親は、かつてアメリカの青年海外協力隊員として、エチオピアに住んでいました。また、大学の勉強や研究、仕事などで世界のいろいろな国を訪れたり、住んだことがあります。
 娘が小さい頃から、世界地図や地球儀はいつも目に触れる場所にあり、スライドや写真などを通して、父親から遠い外国のことを聞いて育ちました。

十五日
 ナミビアのウォルビスベイに向けクルージング。

十六日
 午前九時、ウォルビスベイ入港。


 船を出るとすぐ目の前に砂漠が広がっている。砂漠が海に接しているのだ。高さ百五十メートルほどの大砂丘に登り、砂で遊んだ。鳥取砂丘とはスケールがちがう。
 さらさらの砂山の頂上に達するのはなかなか大変。一歩進んで二歩下がって。砂漠はまるで砂の海のよう。不思議な植物が生えている。
(ウェルウイッチアという植物。かなり大きそうですね)
 ナミビアは人口二百万人の小さな国で、そのほとんどは砂漠だが、ウランやダイヤモンドなどの鉱物資源が豊富で、アフリカでは豊かな国である。
(スワコップムンド・タウン)

十七日
 ブラジルに向けクルージング。

十八、十九日
 クルージングが続く。

二十日
 母の携帯にメール。「Aちゃん、三月に二週間カナダに行くんだって。大学の同級生が癌で亡くなったって・・・。だから働き出す前にカナダに行って、友達に会ってくるんだって。
 人生、何があるか分からないね。船旅、楽しんでおくよ。ブラジルとアルゼンチンは自由行動なので、リオのカーニバル最終日だから、みんなで行こう! って計画立てるよ。たのしみ~!」

二十一、二十二、二十三日
 クルージング。

二十四日
 午前八時、ブラジルのリオデジャネイロ入港。
 リオデジャネイロは、小学校のとき住んでいたオーストラリア・シドニーのシドニー湾と、イタリア・ナポリのサンタルチア湾と並ぶ世界三大美港の一つで、とっても美しい都市だ。


 コルコバードの丘に出かけ、高さ三十メートル、左右二十八メートルもある巨大なキリスト像に会ってきた。観光客がいっぱいだったけど、標高七百十メートルの丘からは市街が一望でき、素晴らしい景観だった。
 キリスト像は、一九三一年にブラジル独立百周年を記念して建てられた。
 入港が一日遅れたため、リオのカーニバルに間に合わなかった。残念!


(コパカバーナ)

二十五日
 ウルグアイに向けクルージング。

二十六日
 母の携帯にメール。「電話してくれたのに、切れてごめんねー。ちょうどママが電話してくれたとき、船が陸から離れてどんどん進んで行ったから、圏外になっちゃったよ。
 明日はウルグアイ、そのあとは二日連続でアルゼンチンを満喫してくるよ。タンゴとショッピング! せっかくだから、マンションの食器とかアンティーク買ってこようかなーって思って。
 アルゼンチンはアンティークの宝庫だから。じゃ、またねー。最近船が激しく揺れて、船酔いで死にそうだよ・・・」

二十七日
 午後三時、ウルグアイのモンテビデオ入港。二十四時出港。
 モンテビデオはウルグアイの首都で、人口三百二十万人の約半数がここに住んでいる。
 西側は植民地時代に作られた旧市街で、古い建物が歴史を感じさせてくれた。東側を新市街と呼び、港を中心とする経済の要になっている。こぢんまりした美しい都市。

二十八日
 アルゼンチンに向けクルージング。

10年3月16日

小説「日本語ダイレクト」

二月一日
 本日は船の上でのお正月。
美しい器に盛られた美しい彩りのおせち料理をいただく。とってもおいしくて幸せ!
 洋上餅つき大会があって、きな粉にあんこにお酒も出てきた。船にはいろいろな物が積んであるんだな~っと感心。
 なんと書き初めに百人一首大会も催された。私とルームメート二人は浴衣と着物を着て参戦。赤道直下の浴衣は、暑かった。

 午後はプールでバレーボールをして、ジャグジーに入って日陰で昼寝。上は空が一面に広がっていて、周りは見渡す限り真っ青な海!
 雲を見ていると、ゆっくり徐々に形を変えながら動いているのがよくわかる。月の位置も少しずつ動いて行き、地球は回っていると改めて実感。本当に幸せなひとときだった。

二日
 日に焼け過ぎて、肌が真っ赤に・・・。ヒリヒリ痛い。さすが赤道直下、太陽は日本と比べモノにならないくらい強かった。
 ぼぉーっと海を眺めていると、たまに鳥が一羽だけ突如現れる。船の周りをぐるぐる回ったり、風に乗ったりして遊んでいるようだ。インド洋の真ん中で、いったいどこから来てどこに行くのだろう。

三日
 のはらヒロコさんによるゴスペルクワイアー。

 のはらさんは、日本のゴスペルシンガーの第一人者で、亀淵友香さんを中心に1993年に結成されたゴスペルを主とするクワイアー『VOJA』に所属。語学を学ぼうと入った大学(ポルトガル語科)でブラジル音楽に触れ、歌うことに目覚めた。ゴスペルに興味を持ったのは、映画『天使のラブソング2』の影響とのこと。VOJAでの活動の他、女性三人組『HHMD』というコーラスユニットでのライヴ活動も行っている。船内でゴスペルチームを立ち上げ、コーラスの指導をしてくれた。

 二回目のマラリア予防薬を飲んだ。胃が気持ち悪い。明日はケニア到着だ。

四日
 ケニアのモンバサ到着!


 船から見える港は意外と普通。私は明日からオーバーランドツアー(船を一時離れて、各地を巡る寄港地プログラム)について行くので、今日は自由。
 一日暇なので、何をしようかと考えていたら、「モンバサ個人ツアー」を三時間四十ドルでやってくれる現地の女性ガイドを発見。少々お高いが安全を考えるとしかたがないかな。
 彼女の車に乗って市内へ。まずポルトガル人が建てたFort Jesus (要塞)へ行き、その後旧市街へ。モンバサは、アフリカの都市の中でも特にイスラム教徒が多い。黒い服に身を包んだ人たちを大勢見かけた。


 ガイドの話だと、近年のケニアの状況は悪化の一途らしい。二〇〇五年の大統領選挙の後、怒り狂った民衆があらゆる物を燃やし尽くしてしまった。今はお金を持っている人の間でも、食料不足は深刻だという。
 道端にはたくさんの物乞いをする人たちがいた。一人は足を切断したのか、切り離したくるぶしから下あたりの足が体の横に置いてあった。
 モンバサの市場で「カンガ」と「キコイ」という、アフリカの人たちが身に付ける布を買った。

 母の携帯にメール。「ケニア到着。日記たまりにたまってるけど、最近ネット接続がなくて。明日から九日間のサファリツアーに参加するぜ。モンバサ→タンザニア、ナイロビ→南アフリカへ飛行機で一気に行くよ」

*モンバサからの絵ハガキ(遠くまで続くトタン屋根のスラム街の写真)
「パパ・ママ
 JAMBO! (スワヒリ語でこんにちは)私は今、ケニアのモンバサ郵便局で、このハガキを書いています。太陽はものすごく強くて暑い(三十二度)。でも、本当にアフリカにいるんだって思うだけで興奮するよ。
 モンバサにはイスラム教徒がたくさんいます。それから、大統領選挙後の暴動で人々が食糧難に陥り、とても困っています。今日は、ガイドと一緒に市内観光に出かけたよ。市場でカンガとキコイっていう布を買ったんだ。すごくカラフルでビビッド。きれい~
 じゃ、元気でね! こっちはすごく楽しいよ。
 Asante Sana(アサンテサーナ) スワヒリ語で「どうもありがとう」という意味。
 この絵ハガキの売り上げの一部は、アフリカの子供たちを支援している団体に寄付されるよ。


(モンバサの郵便局)

五日
 オーバーランドツアーに出かける。
 ケニアのモンバサ空港から、タンザニアのキリマンジャロ国際空港へ。
 そして、サファリカーでマニャラ湖、ンゴロンゴロ自然保護区からセレンゲティ国立公園を巡り、再び国境を越えてケニアの首都ナイロビに行くというコース。

(モンバサ空港)

(キリマンジャロ国際空港)
 広大なアフリカの大地でのサファリツアー、九日間で北海道から沖縄まで縦断するくらいの距離を移動する。参加者は三十名ほど。サファリカー何台かに分乗した。
 ロッジで日本人ガイドと同じ部屋に泊まる。

六日
 マニャラ湖に向け車は走る。
 マニャラ湖は、大地溝帯(グレート・リフト・ヴァレイ)の谷底にある湖のうちの一つで、タンザニアでは一番小さい国立公園。
 大地溝帯は、紅海からエチオピアを縦断して、ケニア、タンザニア、モザンビークなどをつらぬき、インド洋へ抜ける巨大渓谷で、プレート境界の一つである。正断層で地面が割れ、落差百メートルを超える急な崖が随所にある。幅三十五~六十キロメートル、長さは七千キロメートルにも及ぶ。
 宇宙飛行士が初めて月面着陸に成功したとき、月からたった一つだけ確認できた地球上の創造物が、アフリカの大地溝帯だったそうだ。
 この地球の割れ目では、今も活発な地殻運動が続いているので、数千年後には新たな湖が出現するという。この地溝にあまたの野生生物が生息している。

七日
 車をどんどん走らせてマニャラ湖の脇までやってくると、道は大地溝帯を登り始め、雄大な景色が広がり出す。
 大地溝帯の下にマニャラ湖が広がっていて、バオバブの木などもたくさんある。素晴らしい眺め! お天気は良好。湖に向かって下って行く。バブーンやサルの群れに出会う。
 ゲートをくぐってしばらく森の中を走ると、やがて草原に出て視界が広がった。ゾウやキリンやシマウマが見える。イボイノシシ、インパラもいる。
 沼にはカバもいた。湖岸に何万羽ものフラミンゴやペリカンが。すごい風景だ。ここは大地溝帯からの湧き水が豊富で森林が発達している。サバンナも湿原もあり、動物の生活環境は多様性に富んでいる。鳥類もたくさんいて、バードウオッチングにも最適な自然の宝庫である

 湖の水面は標高九百六十メートル、断層崖の頂上は千五百メートルを越える。
 樹齢二千年のバオバブと一緒に写真に収まった。
(幹の直径十メートルもありそうなバオバブの木)

八、九日
 ンゴロンゴロ自然保護区にて。
 自然保護区というのは、国立公園の一部を独立させ、人間と野生生物の共存を図っている地域で、噴火口(ンゴロンゴロ・クレーター)とその周囲の広大なサバンナ、及び山岳地帯からなっている


一九七九年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。ンゴロンゴロとはマサイ語で「巨大な穴」という意味。この巨大な穴は二百~三百万年前に大噴火を起こした火山の、火口部分の陥没によってできた。直径約二十キロメートル、深さ五百メートルほどの大きなくぼ地と、周囲約六十キロメートルを取り囲む外輪山がほぼ完全な形で残っている。


 クレーター内は外輪山に囲まれることによって、乾季の影響を受けないため、年間を通して水と緑に恵まれている。ほとんどの動物は、ここで一生を過ごす。
 ここではビッグ・ファイブ(BIG5)と呼ばれるライオン、ゾウ、ヒョウ、バッファロー、サイの他にチータやヌーやシマウマ、ジャッカルなど、また湖ではフラミンゴにカバ、ダチョウに水鳥など、多くの動物を次から次へと見ることができた。
 まったく自然ってすごいなっー、と思う。ちなみに、ビッグ・ファイブはその昔、狩猟をするときに危険を伴う動物として、そう呼ばれるようになった。


(白い花のような小鳥たち)

十、十一日
 大地溝帯の崖の上に建てられたロッジの朝は神秘的で幻想的だ。真紅のバラのような色をした朝の光が辺り一帯を染めていく。下方のクレーターには、たくさんの動物の姿が見える。ここの朝焼けはオレンジ系の赤ではない。特別の色なのだ。神々しい光景だった。

(ロッジにて)
 ンゴロンゴロ・クレーターの外縁を下り、大草原の一本道をひらすら走ってセレンゲティ国立公園に到着。未舗装の道路を砂塵を巻き上げながら車は走る。一部の道路は舗装されていて、ドライバーはそこでは百キロを超えるスピードを出していた。タンザニアの道路整備は、日本のODAによる「k社」が手がけたという。


 セレンゲティは自然保護を目的とした国立公園で、一九八一年に世界遺産(自然遺産)に登録された。キリマンジャロの裾野に広がるサバンナ地帯にあり、東アフリカを代表する国立公園。広大なサバンナを中心に低木林や岩山があり、様々な動物が三百万頭生息している。
セレンゲティとはマサイ語で「大地がどこまでも続く場所」という意味で、その面積は四国より広い。三百六十度空と雲。そして一面の緑の草原。この雄大なサバンナの風景には、皆すごく感動していた。
 見渡す限りの大草原の中に数え切れないほどのヌーやシマウマの群れがいる。ヌーが横切る度にドライバーは車を止めた。ヌーとシマウマは同じイネ科の草を食べる。でも、シマウマは草の先端を、ヌーは根元を食べるために仲良く共存できるらしい。


(サバンナの花)
 果てしなく広がる草原では、つねに新鮮な草や水を探し求めるたくさんの移動草食動物が見られる。移動の時期になると毎年ケニアのマサイ・マラ動物保護区へ向かうヌーは、その数百万頭ともいわれる。

(ヌーの群れ)


 ここで見たライオンのたてがみも被毛も、すごく美しかった。また、群れていることが多い動物の中で、チータとヒョウだけは単独行動をするんだとか。
 獲物を仕留め、注意深く周囲を見渡しながら、それを食べ尽くし、口の周りを赤く染めた満足そうなチータの一部始終を目撃した。


 他にキリン、ハイエナ、イボイノシシ、インパラ、バブーンなどもいた。ゾウは、スリランカとタイで見たことがあるけれど、アフリカゾウが一番大きく、すごい迫力だった。
 野生動物の気高さを感じるような、しなやかで美しい姿に触れ、私はもう動物園へは行けない、そう思った。弱肉強食の世界だから、優れた体、被毛、毛並み、生殖能力を持ち合わせた動物のみが生き残る。


 人類発祥の地として知られるオルドバイ渓谷も訪れた。ここは人類の祖先の化石が多数発見された場所。渓谷を見下ろせる丘に博物館があり、類人猿の化石や石器などが多数展示されている。三百六十万年前の類人猿の足跡のレプリカもあった。
(オルドバイ渓谷)

(人類の祖先の足跡です)
 辺り一帯では今も世界中の大学が共同で発掘作業を続けており、私が卒業したニューヨーク州立大学の教授も参加している。
 父へのおみやげに類人猿がプリントされたTシャツを買った。
 大地溝帯で地球の裂け目を見、あまりにも大きな地形、あまりにも開けた風景に言葉にできない感動を覚えた。大地が鼓動している! 地球は生きている!!

(運転手さんと)

(キリマンジャロ)

十二日
 ケニアの首都ナイロビへ。
 途中、マサイ村に立ち寄った。住民が歌と踊りで私たちを歓迎してくれた。彼らの家は牛の糞を乾燥させたもので作られている。火を起こす作業を実演して見せてくれた。


(マサイ村のおみやげ屋さん)
 ナイロビはマサイ語で「冷たい水」を意味する。人口は二百万人。観光バスの中から、政治、経済、文化の中心である市内を見学した。女性のスタイルはモダンでとてもファッショナブル。
 面白かったのは、派手な装飾をほどこしたタクシーがたくさんいること。タクシーの人気度は、デコレーションの派手さ加減によって決まるという。

(ナイロビ市内)
 早川さんの講座で学んだ「キベラ・スラム」の横をバスがゆっくり通り過ぎた。

十三日
 ナイロビから飛行機で南アフリカへ。
「モナ・リザ号」と合流。久しぶりにCCたちに会えた。すごくうれしい!

(世界遺産のテーブル・マウンテン)

(南アフリカのアシカ)

(南アフリカのペンギン)

十四日
 午後一時、 ケープタウン出港。

*ケープタウンからの絵ハガキ(喜望峰とペンギン、サル、美しい花や小鳥の写真)
「パパ・ママ
 私は今、アフリカ大陸の最南端にいます。喜望峰から海を見渡しているけど、インド洋と大西洋がぶつかりあう壮大な風景が広がっています。風が強いので、樹木が風の向きに斜めに立っているのを見たよ。
 アフリカの人たちは、親切でやさしい心の温かい人ばかり。アフリカは遠い国だと思っていたけど、今は全然そんな感じはしないよ。
 昔、パパがアフリカの人たちは本当に美しいと言っていた。今の私にはパパが何故そう言ったか、とても分かる気がします。 美佳」

(喜望峰にて)

*娘の父親は、かつてアメリカの青年海外協力隊員として、エチオピアに住んでいました。また、大学の勉強や研究、仕事などで世界のいろいろな国を訪れたり、住んだことがあります。
 娘が小さい頃から、世界地図や地球儀はいつも目に触れる場所にあり、スライドや写真などを通して、父親から遠い外国のことを聞いて育ちました。

十五日
 ナミビアのウォルビスベイに向けクルージング。

十六日
 午前九時、ウォルビスベイ入港。


 船を出るとすぐ目の前に砂漠が広がっている。砂漠が海に接しているのだ。高さ百五十メートルほどの大砂丘に登り、砂で遊んだ。鳥取砂丘とはスケールがちがう。
 さらさらの砂山の頂上に達するのはなかなか大変。一歩進んで二歩下がって。砂漠はまるで砂の海のよう。不思議な植物が生えている。
(ウェルウイッチアという植物。かなり大きそうですね)
 ナミビアは人口二百万人の小さな国で、そのほとんどは砂漠だが、ウランやダイヤモンドなどの鉱物資源が豊富で、アフリカでは豊かな国である。
(スワコップムンド・タウン)

十七日
 ブラジルに向けクルージング。

十八、十九日
 クルージングが続く。

二十日
 母の携帯にメール。「Aちゃん、三月に二週間カナダに行くんだって。大学の同級生が癌で亡くなったって・・・。だから働き出す前にカナダに行って、友達に会ってくるんだって。
 人生、何があるか分からないね。船旅、楽しんでおくよ。ブラジルとアルゼンチンは自由行動なので、リオのカーニバル最終日だから、みんなで行こう! って計画立てるよ。たのしみ~!」

二十一、二十二、二十三日
 クルージング。

二十四日
 午前八時、ブラジルのリオデジャネイロ入港。
 リオデジャネイロは、小学校のとき住んでいたオーストラリア・シドニーのシドニー湾と、イタリア・ナポリのサンタルチア湾と並ぶ世界三大美港の一つで、とっても美しい都市だ。


 コルコバードの丘に出かけ、高さ三十メートル、左右二十八メートルもある巨大なキリスト像に会ってきた。観光客がいっぱいだったけど、標高七百十メートルの丘からは市街が一望でき、素晴らしい景観だった。
 キリスト像は、一九三一年にブラジル独立百周年を記念して建てられた。
 入港が一日遅れたため、リオのカーニバルに間に合わなかった。残念!


(コパカバーナ)

二十五日
 ウルグアイに向けクルージング。

二十六日
 母の携帯にメール。「電話してくれたのに、切れてごめんねー。ちょうどママが電話してくれたとき、船が陸から離れてどんどん進んで行ったから、圏外になっちゃったよ。
 明日はウルグアイ、そのあとは二日連続でアルゼンチンを満喫してくるよ。タンゴとショッピング! せっかくだから、マンションの食器とかアンティーク買ってこようかなーって思って。
 アルゼンチンはアンティークの宝庫だから。じゃ、またねー。最近船が激しく揺れて、船酔いで死にそうだよ・・・」

二十七日
 午後三時、ウルグアイのモンテビデオ入港。二十四時出港。
 モンテビデオはウルグアイの首都で、人口三百二十万人の約半数がここに住んでいる。
 西側は植民地時代に作られた旧市街で、古い建物が歴史を感じさせてくれた。東側を新市街と呼び、港を中心とする経済の要になっている。こぢんまりした美しい都市。

二十八日
 アルゼンチンに向けクルージング。

08/4/26