ショートミステリー「夜明けの珍事」

 ガタンと車が止まった。
 メーターを見て吉山刑事は溜め息をつき、ポケットから携帯電話を取り出したが、電源が切れていた。「やれやれ…」と、車を出ると身を震わせた。
 夜明けは近い。外は一面の霧に包まれていた。コートの襟を立て電話ボックスを探して舗道を進んだ。四階建てのビルの角を曲がりかけた時、突然、「ああっ」と驚く声がした。曲がると、舗道脇に紺色のダウンジャケットの若い男が立ちすくんでいた。そのすぐ前方に、半纏を羽織った男がぐったり倒れている。
 傍らには何やら黒い塊が落ちている。吉山刑事が駆け寄ってみると、倒れた老人はすでに絶命していた。頭から血を流す彼の顔を見て、「高利貸しの鎌田か。こいつなら殺されても不思議じゃないな」と、吉山刑事は思った。
 すると背後から、「ありえない。あの黒い塊が突然、宙に現れて…」と、香川と名乗った男がつぶやいた。
 吉山刑事が、「近くで誰か見かけたかね」と問うた。
「誰も。だから不思議なんです。あの凶器が飛び出たように、目の前に」と、彼は言葉を返す。
 その時、エンジンの止まる音がした。見上げるとバイクを止めて、ヘルメットを外す新聞記者の由美子がいた。
「事件現場にはいつも吉山さんありって所ね。これ、ネメシスの石像よ。ネメシスは復讐の女神なの」と、由美子は黒い塊に近寄り、頷いて言った。
 吉山刑事は傍らのビルの上階を見上げ、「まさかビルの上から落ちてきたんじゃないだろうね」と香川に聞いた。
香川は、「ありえない。確かにこんな霧ですが、あんな大きな黒い奴が落ちてきたら、きっと目に止まりますから」と、首を振る。
「ふうむ…」
 三人とも携帯電話を持ち合わせていなかった。
 傍らのビルの一階に「ヤスダ食堂」の看板が上がっていた。吉山刑事は仕方なくシャッターを叩いた。寝惚け面の店主に事情を説明し、電話を借りた。由美子は暗い店内を見渡した。テーブルや丸椅子、棚には食器や調味料、ミルク缶等が並んでいる。
 舗道に戻った三人は、そろって遠くを眺めた。すぐ向こうに都立高校のグラウンドが見えた。
「僕の高校です。そろそろ同輩の沖島君が、陸上部の早朝練習に来てる頃かなあ」と香川が言った。
 夜が明けていた。霧も晴れた。背伸びをした吉山刑事が思わず足を滑らせて転んだ…。

 あなたは、この事件の真相を見破ることができますか?

 後日、吉山刑事はこう語った。
「真犯人はヤスダ食堂の店主だ。彼はビルの屋上高くからネメシスの石像を落として、被害者を撲殺した。黒い凶器を見えないように偽装してね。店内にミルクの缶があったろう。きっと、かき氷を作る機械も置いてあったはずだ。ヤスダはこう考えた。以前より狙っていた被害者をめがけ、凶器を落とすのはいいとしても、誰かに目撃されるかもしれない。そこでヤスダは黒いネメシス像を、かき氷でくるんで真っ白い塊にして、被害者を待った。目撃者の香川君が驚いたのも無理はない。白い霧の中で白い凶器が落ちたら、被害者の頭の上で氷が砕け、突然石像が出現したように見えるさ。しかし、俺が電話を借りに行ったのには奴も驚いた。寝惚け面をして誤魔化したがね。そうそう殺人の動機だが、彼も借金をしていてね、もう首が回らなかったらしい。白い雪に包まれた復讐の女神。彼女は立派に役目を果たしたよ。それに砕けた氷の破片で俺が転んだのも大笑いだったな。すべて夜明けの霧がなせる業っていう所かな。陽の下に悪事無しさ」

10年1月24日

ウェブ作品集

加藤 行

 

 ガタンと車が止まった。
 メーターを見て吉山刑事は溜め息をつき、ポケットから携帯電話を取り出したが、電源が切れていた。「やれやれ…」と、車を出ると身を震わせた。
 夜明けは近い。外は一面の霧に包まれていた。コートの襟を立て電話ボックスを探して舗道を進んだ。四階建てのビルの角を曲がりかけた時、突然、「ああっ」と驚く声がした。曲がると、舗道脇に紺色のダウンジャケットの若い男が立ちすくんでいた。そのすぐ前方に、半纏を羽織った男がぐったり倒れている。
 傍らには何やら黒い塊が落ちている。吉山刑事が駆け寄ってみると、倒れた老人はすでに絶命していた。頭から血を流す彼の顔を見て、「高利貸しの鎌田か。こいつなら殺されても不思議じゃないな」と、吉山刑事は思った。
 すると背後から、「ありえない。あの黒い塊が突然、宙に現れて…」と、香川と名乗った男がつぶやいた。
 吉山刑事が、「近くで誰か見かけたかね」と問うた。
「誰も。だから不思議なんです。あの凶器が飛び出たように、目の前に」と、彼は言葉を返す。
 その時、エンジンの止まる音がした。見上げるとバイクを止めて、ヘルメットを外す新聞記者の由美子がいた。
「事件現場にはいつも吉山さんありって所ね。これ、ネメシスの石像よ。ネメシスは復讐の女神なの」と、由美子は黒い塊に近寄り、頷いて言った。
 吉山刑事は傍らのビルの上階を見上げ、「まさかビルの上から落ちてきたんじゃないだろうね」と香川に聞いた。
香川は、「ありえない。確かにこんな霧ですが、あんな大きな黒い奴が落ちてきたら、きっと目に止まりますから」と、首を振る。
「ふうむ…」
 三人とも携帯電話を持ち合わせていなかった。
 傍らのビルの一階に「ヤスダ食堂」の看板が上がっていた。吉山刑事は仕方なくシャッターを叩いた。寝惚け面の店主に事情を説明し、電話を借りた。由美子は暗い店内を見渡した。テーブルや丸椅子、棚には食器や調味料、ミルク缶等が並んでいる。
 舗道に戻った三人は、そろって遠くを眺めた。すぐ向こうに都立高校のグラウンドが見えた。
「僕の高校です。そろそろ同輩の沖島君が、陸上部の早朝練習に来てる頃かなあ」と香川が言った。
 夜が明けていた。霧も晴れた。背伸びをした吉山刑事が思わず足を滑らせて転んだ…。

 あなたは、この事件の真相を見破ることができますか?

 後日、吉山刑事はこう語った。
「真犯人はヤスダ食堂の店主だ。彼はビルの屋上高くからネメシスの石像を落として、被害者を撲殺した。黒い凶器を見えないように偽装してね。店内にミルクの缶があったろう。きっと、かき氷を作る機械も置いてあったはずだ。ヤスダはこう考えた。以前より狙っていた被害者をめがけ、凶器を落とすのはいいとしても、誰かに目撃されるかもしれない。そこでヤスダは黒いネメシス像を、かき氷でくるんで真っ白い塊にして、被害者を待った。目撃者の香川君が驚いたのも無理はない。白い霧の中で白い凶器が落ちたら、被害者の頭の上で氷が砕け、突然石像が出現したように見えるさ。しかし、俺が電話を借りに行ったのには奴も驚いた。寝惚け面をして誤魔化したがね。そうそう殺人の動機だが、彼も借金をしていてね、もう首が回らなかったらしい。白い雪に包まれた復讐の女神。彼女は立派に役目を果たしたよ。それに砕けた氷の破片で俺が転んだのも大笑いだったな。すべて夜明けの霧がなせる業っていう所かな。陽の下に悪事無しさ」

09/12/13