「日々の暮らしのなかで」 碧木ニイナ

 ある合唱団のコンサートでフランスの作曲家、フォーレのレクイエムが演奏されました。私は、前夜十一時頃に友人のMさんから、「母が今、亡くなりました」との連絡を受けたばかりでした。
 毎年出かける演奏会ですが、今年は特別な思いで聴かせていただいたのです。弦楽合奏の小編成オーケストラにオルガンの混声合唱。重々しい弦楽に誘われるように静かに歌い始められたレクイエムは、あくまでも穏やかで静謐な雰囲気に満ちていました。
 レクイエムは死者の安息を神に願うミサで用いられる聖歌ですが、宗教的な意味とは別に、単に「葬送曲」「死者を悼む」という意味で使われる言葉でもあります。
 Mさんは仏教徒ですが、お母様の人生の幾ばくかを知っている私は、崇高に奏でられる曲を聴きながら、ご冥福をお祈りしました。音楽が永遠の彼方に去りゆくとき、私の心も浄福の境地に誘われているのでした。
 それからしばらくして私は、知的障害やダウン症の若者が集う「劇団・ドキドキわくわく」の公演に出かけました。友人Tさんの長男のU君が団員で、Tさんからご案内をいただいたのです。
 出し物は『ドキドキ・バレンタイン』。チョコレートを渡して告白する女の子と、受け取る男の子との様子を描いた青春ドラマです。私もドキドキワクワクしました。最後のダンスの場面は、出演者全員が解放感に満ちて、エネルギッシュで一番輝いていました。
 団員は二十歳前後の若者を中心に三十六人が所属。指導、音響、舞台照明、セットの製作等、すべてがプロの手によるものです。「劇が人間関係を学ぶトレーニングの場。コミュニケーション能力や社会性を育てることが目的」と、事務局長は言っておられました。
 TさんにはU君の下に東京の大学生で就職活動まっただ中のお嬢さんと、高校生の息子さんがいるのですが、「障害のあるなしを問わず、自分に合ったちょうどのところで生き生きと生きていく、必要であれば誰かの助けを借りながら。子供たちを見ていて、そういうことも大切な気がします」とおっしゃいます。
 終演後にU君とお話をしましたが、きれいな瞳を真っすぐ私に向けて、にこやかに丁寧に対応してくれました。Tさんの「ピュアな人ですから」との言葉が余韻となって、私の心に残響しています。ピュアな人がピュアなままに生きられる社会でありますように。もし、手助けを求められるようなことがあったなら、臆せず手を差しのべられる自分でありますように…。
 その十日ほど後に再びTさんのご紹介で、ウガンダのエイズ孤児によるゴスペルコンサート『watoto 希望のコンサート』を鑑賞する機会に恵まれました。watotoとはスワヒリ語で「子供たち」という意味です。
 ステージ上には六歳から十五歳の子供たち二十人に青年が四人。神への感謝や、大きな力に守られて生きる、歌い踊る喜びが全身にみなぎった躍動感あふれるステージでした。歌の合間には、彼等の将来への夢が語られました。医師に、看護士に、教師に、警察官に、弁護士に…なりたい、と。
 小さいときに深い悲しみを味わった子供たち。不幸を乗り越えた者だけが知り得る命の尊さ、重さが胸に響きます。心の奥底から込み上げるものがあるのです。彼等へのメッセージ欄に私は、〈夢が叶いますように! 〉と、迷わず書きました。
 そして先日は、アメリカのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人で初めて優勝した全盲のピアニスト、辻井伸行さんの演奏を聴いてきました。その音色のなんと美しいこと。音の一つ一つが光り輝いて、まるできらめく真珠が舞っているかのようでした。
 自由自在に動くしなやかな指、繊細な感性、人の心を激しく揺する表現力。ヴァン・クライバーン氏は彼を「奇跡のピアニスト」と表現し、アメリカの聴衆は「あなたの才能は神様からの贈り物よ」と讃えたといいます。
 また、この春には伸行さんのお母様の講演会が岐阜市で催されました。倍率六倍の狭き門でしたが、私は拝聴することができたのです。会場は熱心に耳を傾け、メモをとる人たちの静かな感動で包まれていました。
 日々のささやかな暮らしのなかで私に与えられるたくさんの贈り物。感謝という言葉をかみしめています。

10年10月1日

「不思議な贈りもの」 加藤 行

 ある合唱団のコンサートでフランスの作曲家、フォーレのレクイエムが演奏されました。私は、前夜十一時頃に友人のMさんから、「母が今、亡くなりました」との連絡を受けたばかりでした。
 毎年出かける演奏会ですが、今年は特別な思いで聴かせていただいたのです。弦楽合奏の小編成オーケストラにオルガンの混声合唱。重々しい弦楽に誘われるように静かに歌い始められたレクイエムは、あくまでも穏やかで静謐な雰囲気に満ちていました。
 レクイエムは死者の安息を神に願うミサで用いられる聖歌ですが、宗教的な意味とは別に、単に「葬送曲」「死者を悼む」という意味で使われる言葉でもあります。
 Mさんは仏教徒ですが、お母様の人生の幾ばくかを知っている私は、崇高に奏でられる曲を聴きながら、ご冥福をお祈りしました。音楽が永遠の彼方に去りゆくとき、私の心も浄福の境地に誘われているのでした。
 それからしばらくして私は、知的障害やダウン症の若者が集う「劇団・ドキドキわくわく」の公演に出かけました。友人Tさんの長男のU君が団員で、Tさんからご案内をいただいたのです。
 出し物は『ドキドキ・バレンタイン』。チョコレートを渡して告白する女の子と、受け取る男の子との様子を描いた青春ドラマです。私もドキドキワクワクしました。最後のダンスの場面は、出演者全員が解放感に満ちて、エネルギッシュで一番輝いていました。
 団員は二十歳前後の若者を中心に三十六人が所属。指導、音響、舞台照明、セットの製作等、すべてがプロの手によるものです。「劇が人間関係を学ぶトレーニングの場。コミュニケーション能力や社会性を育てることが目的」と、事務局長は言っておられました。
 TさんにはU君の下に東京の大学生で就職活動まっただ中のお嬢さんと、高校生の息子さんがいるのですが、「障害のあるなしを問わず、自分に合ったちょうどのところで生き生きと生きていく、必要であれば誰かの助けを借りながら。子供たちを見ていて、そういうことも大切な気がします」とおっしゃいます。
 終演後にU君とお話をしましたが、きれいな瞳を真っすぐ私に向けて、にこやかに丁寧に対応してくれました。Tさんの「ピュアな人ですから」との言葉が余韻となって、私の心に残響しています。ピュアな人がピュアなままに生きられる社会でありますように。もし、手助けを求められるようなことがあったなら、臆せず手を差しのべられる自分でありますように…。
 その十日ほど後に再びTさんのご紹介で、ウガンダのエイズ孤児によるゴスペルコンサート『watoto 希望のコンサート』を鑑賞する機会に恵まれました。watotoとはスワヒリ語で「子供たち」という意味です。
 ステージ上には六歳から十五歳の子供たち二十人に青年が四人。神への感謝や、大きな力に守られて生きる、歌い踊る喜びが全身にみなぎった躍動感あふれるステージでした。歌の合間には、彼等の将来への夢が語られました。医師に、看護士に、教師に、警察官に、弁護士に…なりたい、と。
 小さいときに深い悲しみを味わった子供たち。不幸を乗り越えた者だけが知り得る命の尊さ、重さが胸に響きます。心の奥底から込み上げるものがあるのです。彼等へのメッセージ欄に私は、〈夢が叶いますように! 〉と、迷わず書きました。
 そして先日は、アメリカのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人で初めて優勝した全盲のピアニスト、辻井伸行さんの演奏を聴いてきました。その音色のなんと美しいこと。音の一つ一つが光り輝いて、まるできらめく真珠が舞っているかのようでした。
 自由自在に動くしなやかな指、繊細な感性、人の心を激しく揺する表現力。ヴァン・クライバーン氏は彼を「奇跡のピアニスト」と表現し、アメリカの聴衆は「あなたの才能は神様からの贈り物よ」と讃えたといいます。
 また、この春には伸行さんのお母様の講演会が岐阜市で催されました。倍率六倍の狭き門でしたが、私は拝聴することができたのです。会場は熱心に耳を傾け、メモをとる人たちの静かな感動で包まれていました。
 日々のささやかな暮らしのなかで私に与えられるたくさんの贈り物。感謝という言葉をかみしめています。

10/10/1