「車内にて」 牧すすむ

 誰かの話し声でふと眠りから覚めた。だが、すぐには自分の居場所が判断できず、空ろな頭とまだ焦点が合わない目で辺りを見渡す私─。程無くして状況を理解。何のことはない、疲れから睡魔に襲われ、車の運転席でいつの間にか眠り込んでしまったのだ。
 大正琴の講師を生業(なりわい)にしている私にはよくあることで、毎日が長距離のドライブ。百キロ、二百キロ、時には三百キロを遙かに超す移動であり、もちろん連日のように高速道路を利用している。まるでトラックの運転手並みなのだが、大きく違うところは目的地に着いてからが本番の仕事、つまりそれから教室が始まるのだ。
 こんな調子で一日に何箇所もの教室を巡るため、先のような長距離になってしまうのである。しかも夜の教室が終わる時間も十時を過ぎることが多く、つい、コンビニやドライブインの駐車場、高速道路のサービスエリア等のご厄介になってしまうというのが私の日常という次第─。
 相棒の愛車はワンボックスカー。後部シートは全部フラットにし、更にその上に板を置き、まるで小さな部屋のようになっている。つまり、そこが私の生活場所の全て(笑)なのだ。小さな折りたたみの机と蛍光灯スタンドは、食事や書き物をする家具として。又、テープレコーダーの類はアレンジや練習の道具、その他は仕事に必要な楽器や大量の楽譜等々、しっかりと積み込まれている。もちろん、上下二枚の毛布と枕は当然の必需品である。正に三畳ひと間のオンボロアパートといったところだ。
 前述のように遅い時間の運転になるため疲れもピークに達し、馴染み(笑)の駐車場に着いた途端、後部の「部屋」の毛布に包まる間も無く、眠り込んでしまう。しかも、運転席のすぐ後ろまで物が置いてあるのでリクライニングが十分にできず、まるでソファーに腰掛けたまま寝ているようなもの。結局、起きた時に首が痛いのもしばしば。
 まあ、それはともかくとして、冒頭に話を戻すと私が眠っていたのは東名高速道路のいつものサービスエリア。二十四時間営業ということで夜光(行)虫の自分にとっては実に有り難い場所なのである。そして、賑やかな話し声の主はなんと、大勢のお年寄りだった。
 少し離れたスペースに停めてある数台のバスから降りてのトイレ休憩。連れだって用を済ませた後、三々五々集まって楽しそうなおしゃべりが始まっている。どこかの老人クラブの旅行なのだろう。時計を見るとすでに深夜の二時過ぎ。彼等の余りのお元気さに圧倒される思いがした。
 高齢化社会が深刻な問題となっている昨今、こうした若々しいお年寄りたちに幅広い社会貢献の場を作ってあげられる国でありたいと、そう願わずにはいられなかった。
 私も足腰を伸ばそうと車を降り“手洗い”へ─。鏡に写る自分の顔に先程のお年寄りの顔をダブらせ、いつまでも若く元気でいたいものだと、白髪が少し気になりだした髪を両手で撫で付けながら思わず苦笑してしまった。
 店内はこんな時間にも関わらず昼間のように賑わっていた。私は片隅のテーブルに落ち着き、セルフサービスのお茶を口に運びながら、見るともなく辺りを見渡していた。実はこうしてぼんやりと人の蠢(うごめ)きを眺めているのも好きな時間のひとつなのである。
 ドライバーらしき人、ツーリング途中の若者達、家族連れ、こんな場所に不似合いな正装の人、又、時には外国人の団体さん等々。皆それぞれに“今日”という日を生きている。それが一所懸命であったり、気楽であったり。そんな彼等の人生模様を勝手にあれこれ思い描くのも、けっこう愉快なひと時なのだ。
 明日の仕事の予定も気になって車に戻りエンジンをかける。眠気も程よく覚めた私の目に一組の中年のカップルが映る。肩を寄せ合い店内へと向かう後ろ姿─。夫婦なのかわけありなのかは知らないけれど(笑)、この先の“道中”をどうかご無事でと、いらぬ心配に思いを残しながらアクセルを踏む私であった。

10年7月8日

「駅にて」 黒宮 涼

 誰かの話し声でふと眠りから覚めた。だが、すぐには自分の居場所が判断できず、空ろな頭とまだ焦点が合わない目で辺りを見渡す私─。程無くして状況を理解。何のことはない、疲れから睡魔に襲われ、車の運転席でいつの間にか眠り込んでしまったのだ。
 大正琴の講師を生業(なりわい)にしている私にはよくあることで、毎日が長距離のドライブ。百キロ、二百キロ、時には三百キロを遙かに超す移動であり、もちろん連日のように高速道路を利用している。まるでトラックの運転手並みなのだが、大きく違うところは目的地に着いてからが本番の仕事、つまりそれから教室が始まるのだ。
 こんな調子で一日に何箇所もの教室を巡るため、先のような長距離になってしまうのである。しかも夜の教室が終わる時間も十時を過ぎることが多く、つい、コンビニやドライブインの駐車場、高速道路のサービスエリア等のご厄介になってしまうというのが私の日常という次第─。
 相棒の愛車はワンボックスカー。後部シートは全部フラットにし、更にその上に板を置き、まるで小さな部屋のようになっている。つまり、そこが私の生活場所の全て(笑)なのだ。小さな折りたたみの机と蛍光灯スタンドは、食事や書き物をする家具として。又、テープレコーダーの類はアレンジや練習の道具、その他は仕事に必要な楽器や大量の楽譜等々、しっかりと積み込まれている。もちろん、上下二枚の毛布と枕は当然の必需品である。正に三畳ひと間のオンボロアパートといったところだ。
 前述のように遅い時間の運転になるため疲れもピークに達し、馴染み(笑)の駐車場に着いた途端、後部の「部屋」の毛布に包まる間も無く、眠り込んでしまう。しかも、運転席のすぐ後ろまで物が置いてあるのでリクライニングが十分にできず、まるでソファーに腰掛けたまま寝ているようなもの。結局、起きた時に首が痛いのもしばしば。
 まあ、それはともかくとして、冒頭に話を戻すと私が眠っていたのは東名高速道路のいつものサービスエリア。二十四時間営業ということで夜光(行)虫の自分にとっては実に有り難い場所なのである。そして、賑やかな話し声の主はなんと、大勢のお年寄りだった。
 少し離れたスペースに停めてある数台のバスから降りてのトイレ休憩。連れだって用を済ませた後、三々五々集まって楽しそうなおしゃべりが始まっている。どこかの老人クラブの旅行なのだろう。時計を見るとすでに深夜の二時過ぎ。彼等の余りのお元気さに圧倒される思いがした。
 高齢化社会が深刻な問題となっている昨今、こうした若々しいお年寄りたちに幅広い社会貢献の場を作ってあげられる国でありたいと、そう願わずにはいられなかった。
 私も足腰を伸ばそうと車を降り“手洗い”へ─。鏡に写る自分の顔に先程のお年寄りの顔をダブらせ、いつまでも若く元気でいたいものだと、白髪が少し気になりだした髪を両手で撫で付けながら思わず苦笑してしまった。
 店内はこんな時間にも関わらず昼間のように賑わっていた。私は片隅のテーブルに落ち着き、セルフサービスのお茶を口に運びながら、見るともなく辺りを見渡していた。実はこうしてぼんやりと人の蠢(うごめ)きを眺めているのも好きな時間のひとつなのである。
 ドライバーらしき人、ツーリング途中の若者達、家族連れ、こんな場所に不似合いな正装の人、又、時には外国人の団体さん等々。皆それぞれに“今日”という日を生きている。それが一所懸命であったり、気楽であったり。そんな彼等の人生模様を勝手にあれこれ思い描くのも、けっこう愉快なひと時なのだ。
 明日の仕事の予定も気になって車に戻りエンジンをかける。眠気も程よく覚めた私の目に一組の中年のカップルが映る。肩を寄せ合い店内へと向かう後ろ姿─。夫婦なのかわけありなのかは知らないけれど(笑)、この先の“道中”をどうかご無事でと、いらぬ心配に思いを残しながらアクセルを踏む私であった。

10/7/8