小説「人間炎上ス」

 私のからだが鱶鰭(ふかひれ)となって、大きな団扇で煽られるように、この地球上でゆらゆら、ユラユラと燃え始めた。周りは静寂そのものだ。空からは稲妻まじりの激しい雨までがまるで天が割れんばかりに地表に降り注いでいる。
 手の先、足の爪、頭のてっぺん、鼻の先、乳首、肘、膝、目ん玉、かくして口、勃起したペニスの噴射孔、お尻の穴、夥しい毛穴からも、ありとあらゆる部位から煙が出、次いであとを追うように真っ赤な炎が立ち始めた。雨が激しくなればなるほど、雷鳴が轟けば轟くほどに火焔はますます勢いを増し空高くあがってゆく。
 不思議なことに、からだの鋭角になった先々や膝、突起部分にはいつのまにか、フカのヒレのような鱶鰭が付き、この部分だけはまるで大気のなかで遊泳でもするように、ひらひら、ヒラヒラと<かぜ>に流れている。火は、その鱶鰭にも次々と燃え移った。夥しい火気が豪雨をすり抜けるようにして空に吸い込まれてゆく。恐ろしい光景だ。
 全身が赤く燃え盛っている。火焔(かえん)の中にすっぽり包まれた私には、もはや熱い、とか痛い、という感覚は消し去られているようだ。これほどまでに荒れ狂う暴れ雨の音ひとつ聞こえはしない。一体、何者がすべてを消滅させたのか。

 私はふと、ニンゲンエンジョウ、ニンゲンエンジョウだ、とまるで他人事(たにんごと)のようにつぶやいていた。これでは、人間炎上だ、と。私という人間はもはや、生きていても何の価値もないのか。いや、この世から人間たちが抹殺される時が愈々(いよいよ)やってきたのだ。自然界からのわがままな人間に対するしっぺ返しか。

 物語のきっかけは、少し前にさかのぼる。
 私の脳細胞は、あのころから混乱し大気のさなかを浮遊し始めていた。
 ―パソコンで料理が出来るというのか。洗濯(せんたく)も、掃除も出来ない。もちろん野菜ひとつ育てられない。魚を獲る海や河川での漁だって駄目だ。病気だって治すことは不可能だ。ましてや、男と女が縺(もつ)れあうセックス(性交)などという気高く高尚なこととなると、とても出来っこない。だから子どもなんて、とてもつくることも産むことだって、できない。病人に付き添っていたわりの声をかけてやる。こんなことだって出来っこないのだ。
 目で見、耳で聴き、足で歩く。
 人間にとって一番大切なことが悉く出来ないのだ。なのに人間どもはパソコン、パソコン、メール、メールと浮かれ、さらには新世代の携帯電話が発売されるとやら、でケータイ、ケータイと声を張り上げている。若者たちは、いつのまにやら、2ちゃんねるとか、ミクシとか言うおかしな代物(しろもの)にはまり、夜通しチャットなるものにうつつを抜かしている。そう言う私自身もいま、クーラーの効いた自室でこうしてパソコンのキーを打ち、小説を執筆している。
 実は、私はこの人間炎上ス、を広く世に問うことで、皮肉にもパソコンとインターネット、メールに代表される人間社会への造反、反逆を企てようとしているのだ。

 ところで稲妻の閃光にあわせるかの如く気が狂ったように降り注ぐ夥しい雨のなか、火の海に包まれてしまった私という存在は、その後どうなったのか。どうやら燃え滾(たぎ)る火の中で全身が融けてしまい、魂だけになってしまったようだ。魂だから意識はある。いや、意識だけはより鮮明となって、この大気のなかで浮かんでいる。
 魂になった私は、それでもなお付いて離れない自身の心の襞(ひだ)に向かって叫んでいる。パソコンで何が出来るというのか。野球が出来るというのか、と。中日ドラゴンズの山本昌投手のようにプロ野球で200勝達成が出来るというのか。可能なのは、先日札幌までドラゴンズ対日ハム戦の観戦ツアーに同行した時の出張申請を出すぐらいのものだ。ほかに、あえて言うなら、毎月出す携帯電話の使用料申請も、か。
 今度は私という魂が歩きながら考えている。何事もなかったように静かになった大気。その中に浮かんでいる魂が歩いては止まり、止まっては歩いている。夜なら、歩くときは火の玉が闇夜にふわりと浮いてそろそろと動くので、よく分かる。動きながら考え、止まっては考えをまとめ、また歩きだす。まるで妖怪変化(ようかいへんげ)のように、だ。
 魂は、一体全体どこへ行こうとしているのか。
 一見すると、何でも出来そうに見えて実は何もできないパソコンメール社会。まだまだ双方向というよりは、事件が発生するとデスクから一方的に呼び出され、たぶんに強圧かつ命令調だったポケットベル時代の方が良かった。出先にいて、ポケベルが鳴ると本当に緊張したものだ。殺しが発生したときも日航機墜落、次男坊がうまれた時だって、みなピコピコッと胸元でなるポケベルだった。一つとして不必要な連絡はなく、随分と感謝している。
 それに比べパソコンメール社会といったら、どうだ。一見、何でもできそうな顔でいて、いざとなると、生身ではすぐに対応出来ない。これは、という時に限って実はあまり役にはたたない……。そんな社会などはゴメンだ、と。身体から抜け出た魂は何かを求めて歩きだしているようだ。パソコンどころか、電気も何もない火打ち石による火やろうそく、行灯(あんどん)だけの時代に向かっていくようだ。

 そういえば、炎上した私は前にも触れたが、全身、火達磨(ひだるま)となりながら不思議なことに、いったい熱さも痛さを感じないどころか、パチパチと炎上し尽くす間にその火音(ひおと)さえ聞いてはいない。いや、聞こえてこないのだ。
 一方で、知らない間に仲間の魂という魂が私の周りに寄せ来る波の如くフワフワと浮かび上がり、まるで行灯の丸い光が闇夜に無数に点滅しているようだ。これら魂たちは、どれもこれもが私と同じように、つい先ほど私と運命をともに炎上し尽くした人間たちに違いない。それぞれが、それなりの意識を持って浮かんでいるはずだ。

 ここで私はつくづく思う。
 この人間社会から電気なる文明をすべて取り上げてみたらどうか、と。電飾に彩られたけばけばしい程の夜、これだけはなくなり、空や星、川、山、海といった自然のままの地球の存在感が見直されるだろう。
 大都会東京。首都高速。名古屋駅周辺の白い高層ビル群。コンビニ。東京タワー。歌舞伎町の夜のネオン街…と、ありとあらゆる世界が星空の下に晒されるのだ。
 それはそうと、星の光りって、一体何奴(なにやつ)なのだ。常識的にも空中に黒く浮かんでいたって何ら可笑しくはないのに。星という星がキラキラと光っているのである。それも地上が暗ければ暗いほど美しく輝いて見える。天の川が星たちの集まりなんだって。これは一体どうしたことか。地球だって、他の天体から仰ぎ見たら、白くキラキラと輝いているのだろうか。
 ともあれ、いま私の目の前の光景は、すべてが月明かりの下に晒されている。気がつくと、私の視界のなかには地球のありとあらゆるものが詰め込まれてしまったようだ。私は、その中の白い高層ビル群に、魂の右手を伸ばし掴んでいとも簡単にビルごと近くの川に投げ捨てた。いまや妖怪と化した魂の私には、そんなことまで出来るのである。
 川は随分と広くて長い。木曽、長良、揖斐の三川にも負けず劣らない。白い高層ビル群はしばらくその川で浮いたり沈んだりしていたが、やがていずこともなく消え去り、同時に川の姿もなくなっていた。いまはただ、人間社会から私と同じように異界に送り込まれてきた夥しい魂ばかりが夜の闇の中を浮かんだり消えたりしていた。

 私という魂は見つめていた。
 この世の中に浮かぶ無駄という無駄の数々を、である。だがしかし、人の世には、その無駄という存在こそが必要なのかもしれない。
 二〇〇八年七月七日。私(魂)は、知らぬ間に通勤途中の名古屋市営地下鉄列車内に居た。目の前に座る白い両の足を組んだ若い女が手鏡を手に、なにやら盛んに取りすました顔で、眉毛の上に刷毛(はけ)のようなもので、何度も何度も鏡の中の自らの顔を覗き込みながら、黒いペンキのようなアイシャドウといったものを塗りたくっている。こんなことをして何の足しがあろうか。女は白い両足を組みなおした。
 それでも彼女は黙々と黒々とした出来損ないの絵の具のようなものを刷毛で恥ずかしげもなく、塗りたくっている。何度も何度も鏡の中を覗きこむ。赤い唇は、お化けのようだ。そういえば、私が慕うマスコミ界のある、どえらいお方が「赤は、けばけばしくて嘘っぽいばかりか、赤字を連想するのであまり好きではない」と言っていたっけ。その通りで「赤」など男の心理からは、とても信じられない。何が楽しくてあんな訳の分からないことをしているのだろう。

 魂はしみじみ思う。
 女のアイシャドウと引き換え無駄でないものと断言できるのが、次のような喜怒哀楽だ。
<勝ったり負けたり 泣いたり笑ったり 喜んだり悲しんだり >
 それはそうと、今シーズンのわれらが中日ドラゴンズは一体全体、どうしてしまったのか。落合博満監督の守り勝つ野球は、どこに行ったのだ。阪神どころか、他のチームにも負けてばかりだ。これではファンも浮かばれまい。だって、ドラの勝ち負け、すなわちファンの喜怒哀楽そのものだからだ。
 でも、野球文化って。「勝ったり負けたり」だから勝ってばかりも、あまりいいものではない。どうせなら、負けて負けて、さらに負けて、負けとおすのも、手かしれない。本物のファンならば、怒り心頭に達しながらも、それでも毎日毎日「きょうは、きょうこそは勝ってほしい」と勝利を願いつづけるだろう。

 そういえば、昔、青春歌謡歌手舟木一夫の歌に「涙の敗戦投手」というのがあった。確か<みんなの期待 背に受けて 力のかぎり投げた球(略)けれど敗れた 敗戦投手…>とか言った歌詞で、私はこの歌が大好きだった。大学受験に失敗するなど、挫折のつど何度も何度も誰もいない所でただ独り、声をあげ口ずさんだものだ。唄っているうちに涙がポロポロ、ポロポロと流れ、どこからか腹の底から新しいエネルギーが出てきたことを、よく覚えている。
 このほかにも赤ちゃんが生まれて、たいそう喜んだり、大学受験や入社試験に受かり有頂天になったり、失敗して落ち込んだり、こうしたいわゆる人間のすなおな感情こそ無駄でなく、絶対的に必要なものだ。半面、夜の明かりなぞというものは、生物社会にとっては何ひとつとして必要ではない。刷毛ペンキも無駄そのものだ。こう言い切ってしまうと「いや、お化粧なのだから大切なことだわ。あなたには、女の純情可憐な気持ちが理解できないんだから」といった反論の矢が、こちらに向かって飛んできそうだ。こうなると、価値観の相違になってくる。完全否定はできないことも分かっている。
 私は燃え落ちて逝った自らの心身を思いつつあらためて、そんなことを痛いほど感じるのである。(さらに、突飛にこうも思う)真夏の靴下とか、若いプロ野球選手らが首や手に巻いている、チャラチャラした金属の装飾品類ときたら、すべてのものが人間にはさして必要ではなかろう。少なくとも生きていたころの私に関しては、こうしたものは無駄だった。
 炎上以前の私は(それは生前ということになるのか知れないが)、よく素足で電車に乗り、ボールペンや鉛筆を手に汽笛の音を耳に、ガタンゴトンと揺られながら、ドンドコド、ドンドコド、と川の流れの如くどこまでも小説を書いたものだ。空き列車に乗るなどして誰もいない車内で鉛筆を走らせることもしばしばだったが、本当を言えば、太陽の自然光のなか、公園のベンチかどこかに座り、出来れば海とか山、空、川を見ながら書くことが好きだった。
 秋なぞ、イチョウの葉が、空からゆらゆら、ゆらゆらと陽炎の如く落ちてくる。そんな光景を見ながら進める自らの筆先には、我ながら感心するほどに無言の音の風景と余韻を感じ、自分で自分に陶酔したものである。
 イチョウの葉を公演の手品師とは、よく表現したもので、私はそんな手品師たちが一枚、また一枚、と地上にヒラヒラと落下してくる姿に女たちの美しくも逞しい裸体を連想し、生きる快感を何度となく味わった。その姿を見るにつけても、すべての面で人間よりイチョウの木の方が上だなっ、とも思った。
 いつだったか、ヒラヒラ舞うイチョウの葉に私にとっては長年の人生の相棒でもあった女が「自然に無理をさせちゃあ、いけないのよっ」とポソリとつぶやき、私を咎めるように見つめた。あの時、私はまさにこの言葉は至言だと思ったのだった。
 自然に無理させてはいけないことに、人間たちはやっと気付き始めたようである。魂の私は、それを見逃すわけにはいかない。

 魂と化した私はいま何かに追い立てられるようにして、この地上(とは言っても、地球に限られてはいるが)のものの観察を始めた。
 最初に視界に飛び込んだのは、何げないかつての日本の風景である。私は歩きながら少年時代に入っていく自分を感じていた。

 ふるさとの家の周りという周りがちいさな山や小川、田畑、畦(あぜ)道、草地、桑畑などに囲まれていた。
ほかにお蚕(かいこ)さんを育てる民家の繭(まゆ)床、鶏舎、豚小屋が点在し雑木林が広がる。一帯が夕焼けに輝く姿は、アニメーション映画に出てくる御伽(おとぎ)の国そのもので、それ以上にカラフルなものだった。そして(それは夏の間に限られたが)小学校から帰ると、上半身裸となって裏の川まで行きメダカやフナ、ザリガニ、ナマズなどの魚をタモ網や素手で捕ったりした。
 山や家の近くの草地では虫籠を手にバッタやキリギリス、鈴虫、蟋蟀(こおろぎ)、蟷螂(かまきり)などを捕らえ持ち帰ったものだ。蟷螂を捕らえる時には、あの長い首に咬まれるのでは、とさすがに緊張した。内心こわごわ、首の部分を絞めるようにしっかりと握って籠に入れたものだ。
 夜になり、どこからかスイッチョ、スイッチョ、リーンリン…と聞こえてくる虫たちの合唱には、子ども心に得もいえない涼感を嗅ぎ取ったりもした。
 小川沿いの土手堤では飼育している兎のえさに、と鎌で草グサを刈り取り家に持ち帰った。草にもいろんな種類があったようで、兎が好みそうな草を見つけることは兄がなぜか、得意だった。雨が降り、川が増水した日は胸が膨らみ、そうした時は上流のちいさな艀(はしけ)まで行きパンツ一つとなってそこから飛び込み、途中、息を何度もつなぎながらも潜水泳法で約百メートル離れた下流の橋まで泳ぎ切ったりした。泳ぎ切ることが無性に楽しかったのだ。川の流れが急な時など、ちいさな体には怖い半面、冒険心も重なってスリリングにも思われた。
 遊ぶのは、川ばかりではない。
 近くの山や雑木林では同級生の美智子や妹の和代ら女の子をお姫さまや御付きの者に仕立てて、竹で刀を削って、それこそ侍(さむらい)気取りのチャンバラごっこに興じ、自宅や友だちの庭先では一つ上の兄貴分、ター坊はじめ同級生の勝弥やチカヒロ、一つ下で親類のヨッちゃん、ずっと年下のしゅん坊らと面子(ショウヤ)やカッチン玉遊びで夢中なひとときが過ぎていった。冬枯れの水田では、みんなで凧揚げを競いあったりもした。空高く舞い上がった凧の糸が電線に引っかかった時の絶望感といったら、それこそ悔しくて一日中、気分が晴れなかった。
 そんな私のトレードマークといえば、上半身、裸の姿だった。夏の間は帰宅後、いつもパンツひとつで、そこらへんを飛び回っていたので、日焼けして真っ黒の私を見た上級生たちからは「黒んぼ」「黒んぼ」と呼ばれてかわいがられた。たまに雨が降って外に出られない日は、家で無心にハーモニカを吹いたり、ラジオにかじりついて名人横綱・栃錦を応援したものだ。
 当時はもう一人の力の大横綱・若乃花とともに栃若時代の全盛期で私は揺り戻しなどの大技の若乃花よりも、上手出し投げや二枚げりなど技の栃錦の大ファンだった。
 いつだったか、得意のハーモニカを吹き吹き「スモウノカミサマ・トチニシキ、ツヨクテヤサシイ、ワレラノヒト、ドヒョウニアガレ……」といった歌までつくり、東京の春日野部屋まで曲と詩を送ったことがある。毎日返事を待ったが、音沙汰はなく、寂しい思いをしながらも「横綱は今はきっと稽古で忙しいからしかたない」と子ども心に自らを戒めたことなど、いま思えば、けなげな少年だった気がする。
 ほかに、冬の炬燵(こたつ)。家族みんなでこの回りに座って白い餅を焼き、こんがりと膨らんだ餅にしょうゆや砂糖をかけて食べた、その風雅な味は、いまだに忘れられない。餅は毎年、暮れになるとは、母の実家である本家(ほんや)に親類中が集まってといで蒸した米を、杵と臼でみんなでヨイショ、ヨイショと掛け声を張り上げてつきあげたものだった。そんな餅つきそのものにも多くの思い出が脳裏に焼きついて離れない。
 さらに、忘れられないものといえば、夏になると寝床に張る蚊帳(かや)があった。蚊帳は面白い遊び道具の一つで中に入って騒ぐことが子どもながらの探検心を煽ってくれたものだ。母が吊り始めた、まだ不完全な膨らんだままの蚊帳は、暗いトンネルの布の中を探険しているみたいで冒険心を誘い、面白くてしかたがなかった。その外側の廊下には蚊取り線香が置かれ、縁側に座った浴衣姿の父の持つ団扇が何とはなしに重々しく感じられた。
 昼間、母はいつも長い長方形の裁(た)ち台を前に着物を縫うのに忙しかった。毎年、暮れになると、それこそ頼まれものが山と運ばれ大忙しだった。裁ち台の一方では決まってお弟子さんがなれない針をすすめており、私ときたらそんなことにはお構いなしで遊びから帰れば、いつも母につきまとって裁ち台の周りを走り回ったものだ。日曜ともなれば、父が廊下の一角で観世流の謡とやらの本を前に時折、咳き込みながらなにやら盛んにうなり声を立てていた。
 さらに盆が近づけば、神社境内まで家族で出向いて8の字型に輪をくぐって家族の幸せを祈る輪くぐりも、子どもには結構神秘的で楽しく待ち遠しいものの一つだった。むろん、盆が来れば玄関先でかがり火を焚いて家族みんなで仏さまをお迎えし、最後は近くの小川でお精霊(しょろい)さまを笹で作った小さな船に乗せお送りしたものだ。むろん、近くの天神さまや神社境内での盆踊りにも足しげく出掛け、母や妹と一緒に河内音頭や春駒、郡上踊りなどを見よう見まねで踊りもした。あの懐かしい日々は二度とやっては来ないだろう。

 でも、よくよく考えてみると、これら小学生のころの思い出に無駄なものは一つとしてないことに魂だけになった今、私はあらためて気付いている。昭和三十年前後、郷愁の野山や川、村の広場で繰り広げられた遊びの数々。これらには、どれ一つをとっても無駄なものはなかった気がする。そうした行為によって環境破壊が進むことも、天が割れて気候が壊れてしまうこともなかった。

 私の魂は少年時代をさらに昔へ、とさかのぼっていく。
 山の煙(けむ)り。蒸気機関車。手製で作った弓引き。戦争ごっこをするには、かっこうだった原っぱ。マルサの男だった父が税務署の慰安会か何かでどこかに行った際、同僚らとトラック荷台に乗っていて事故に遭い、しばらく入院していたが、家族みんなで心配したという追憶。兄と一緒に雪深い白い道をかけ、妹の出産を知らせに約二、三百メートル離れた本家(ほんや)まで走って行った思い出。生後十三日目にして引き揚げ船に乗せられ満州から日本の舞鶴港に帰ってまもなく、まだ赤ん坊のころに母の背中で何やら、ウンウン、ウンウンと唸っていたこと(母が赤ん坊の私を背におぶって家の壁塗りをしていたせいだ、とその後に知る)。意識は、だんだんと朦朧と遠去かっていくが、一つだけ鮮明に覚えていることがある。
 それは父の転勤の関係でそれまで住んでいた愛知県の実家から静岡県下のある都市に引っ越してまもないころに起きたある事件である。
 小学校の二、三年だったと記憶している。当時から私は帰宅後は一日中、家の近くの野山を飛び回り、友だちも日に日に増えていった。中に小学校でもかなり上級生でガキ大将仲間でも親分的な存在に銀坊(ぎんぼう)という名の少年がいた。なぜか、私は、その銀坊からの信頼が厚く、可愛い狸(たぬき)に似ていたからか、何かと「ポン吉」「ポン吉」といって可愛がられていたのである。が、それが裏目に出てしまったのである。
 ある日、遊びから帰る途中、いきなり銀坊よりは少し年下、私より二、三歳年上の少年五、六人が私をある悲壮な覚悟を秘めたような、真剣な表情で取り囲んだ。
「おまえは、転校してきたばかりなうえ、チビのくせに生意気だ。いまから銀坊に取り入るだなんて、きさま、どういう気なんだ」
 口々に叫んだ少年たちは、私をそのまま暗がりに引きづり込んだあげく、人けのない民家の白い板塀に押しつけ、身動きできないよう私の体を張り付け状態とした。そして有無も言わせず、いきなりそれぞれの膝で股間部分を交替で次々と蹴ってきたのだ。火が出るような痛さと屈辱。その膝には少年たち一人ひとりの憎しみが込められているのが、よく分かった。私はただ蹴り上げられるばかりで、どうすることも出来ない。
 その部分の痛さにこらえかねた所に兄が来てやっとその場はおさまったが、あの時の悔しさといったら未だに忘れられない。私は、そのままその場に蹲(うずくま)りしばらく立つことさえ出来なかったが、あとで兄から事の次第を知らされた父が加害少年の家一軒一軒を回って「なんてことをしてくれたんだ。それじゃあ、うちの大事な子が死んでしまうじゃないか」と怒鳴り込んだ、と聞いた時には、なぜか嬉しく頼もしい気がした。半面で、私は内心、銀坊に大切にされ過ぎ有頂天になり過ぎた結果が、上級生たちの反感を買い、ああした形となって表れたことを子どもなりに痛いほど感じたのだった。
 以上は私の少年時代の一番の鮮烈な苦い思い出だが、これとて今となっては、何ら無駄なことだったとは思わない。いや、むしろ、こうしたことがあってこそ、私のその後の人格形成になんらかの刺激が与えられたような、そんな気がしてならないのである。
 なんのことはない。
 あのころは、小学校の校舎も木造で小豆島を舞台とした壺井栄の原作映画「二十四の瞳」の中の分教場に出てくるような、小さなかわいい机を前にふたりずつが座って授業を受けたものだ。黒板にいたずら書きをするなど悪さをして廊下に独りだけ、長い間、立たされもした。
 紙芝居のおじさんたちも車を引いてよく田舎まで来てくれた。店にはラムネが有り余るほどに並んでおり、一本五円か十円のラムネを飲みながら、紙芝居をキャンキャン言いながら見たものだ。ほかに旅から旅に渡り歩く旅芸人たちも何回か公民館にやってきた。お釈迦さまの日、春の花祭りが来れば村じゅうの当番の家を順番に訪れ、甘茶をもらって飲み、駄菓子まで駄賃としてもらった。駄菓子を集めて回ることがなんとも楽しかった。
 昭和のいち時代は、このようにどこまでも奥深く、魅力的なものだった。小さな町を車で流しながら、大抵は夫婦でやってくる夏の蕨(わらび)餅(もち)屋さんにも、どこか哀愁が漂う風情があり、首を長くして心待ちにしたものだ。夏が蕨餅なら、冬は焼き芋、蕨餅や焼き芋が回って来ない時には、なぜか「アオダケー、アオダケー、あおだけはいかがですか」と声を張り上げる青竹屋さんがやってきたものである。
 子ども心にも、こうした商売屋さんが現れると、微かに胸の動悸を覚え、村のはずれまで我先に、と飛んでいった 日々もいまでは懐かしい思い出となった。

 私という魂は、またまた現実に戻る。
 人間たちはつい最近、北海道で開かれたG8(主要8カ国)による洞爺湖(とうやこ)サミットとやらで地球規模で進む温暖化と環境汚染問題を巡ってわいわいがやがやと新聞、テレビなどのマスコミが中心となり、騒ぎ立てている。
「地球温暖化は、言うまでもなく危機的な状況です。原油の高騰はとどまるところを知らず、食糧危機は先進国にも襲いかかろうとしています。洞爺湖にかかる霧のような視界不良の真っただ中、重い課題を背負ったサミットです」(T紙社説)といった、いかにもらしい論調が目立つ。
 新聞、テレビには連日、環境汚染、地球温暖化、脱温暖化、温室効果ガス、地球規模、気候変動、石油依存・化石燃料からの脱却、エネルギーの安定供給、地球市民、環境保護、エコ活動、バイオといった言葉が氾濫している。増水した河川から夥しいもっともらしい言葉ばかりが洪水となって垂れ流しになっている、といっていい。

 ここで魂である私は叫んだ。
「何が地球温暖化だ」「何が環境保護、環境破壊だ、エコ活動だ」「何が温室効果ガス排出量を2050年までに半減させるのだ」と。どれもこれも白々しい、の一言に尽きるんだよ、と。なんだか人間たちはおかしい。おかしい、よ。何も世界のあちこちから集まってきて、やれ削減目標がこうだ、とか、ああだとか。そんなことを国単位でいちいち話し合うほどのことなのか、と。先進国と開発途上国との間に当然、国の利便が関わってくるに違いないじゃないか、と。
 人間ならば、なぜ一人ひとりの理性と判断で夜のネオンを止めるとまではいかないにしても半減したり、真夏のクーラーを控えめにしたり、音源を制限したり、余分なものを抱え込まないでゴミ量を少なくするなど出来ないものか、と。ロンドン、パリ、東京、そしてニューヨーク、モスクワ、北京、名古屋……と、世界の大都市が声かけあって地球消灯の日でも作った方が、より手っ取り早い。
 いやいや、そうとは言いきったものの、私自身、生前、クーラーを止めたり、電飾のない町で生活したり、余分なものを抱え込まなかったか。と言えば全くの嘘になるのも間違いない。むしろ、電飾もクーラーも多用していたきらいがある。言うは易し、だが行い難しでもある。少年時代のあの逞しさは、どこかに消えうせてしまい、完全に文明の利器に飼い馴らされた、甘くて弱い人間になり下がっていた。
 事実、夏の猛暑日などクーラーなしでは、とても生きてはおれなかった(ただ、子どものころは、団扇とか扇風機で十分、不満もなく生きていたのだが。私自身、クーラー社会が現実のものとなるに従い、他の人間と同じように環境には、だんだんと弱くなっていってしまったようだ)。人間は、そういうわがままないきものなのである。
 文明が進めば進むほど、奴らはそうした社会に甘えてしまい、気がつくと本来あるべき環境そのものを厭う、環境に弱い存在になり下がってしまっている。

 洞爺湖サミットから半月ほどが過ぎた。
 日本は、相変わらず猛暑に攻めたてられている。温度計は、名古屋、多治見、京都などで、苦もなく摂氏三五、六度を連日、超えている。この按配だと、人間の体温よりも高い日が続く、それこそ温暖化列島が現実のものとなっている。
 そんな炎暑のなか、背中に寂しさがにじんだ老いぼれ男が何もできないまま、ただうな垂れ肩を落として歩いている。男は炎上前の私本人でもある。かつて自分で書いた小説が何ひとつ、どこからも評価されず、「何を訳の分からないことばかりを書いているのだ」と氷の如き周囲の冷たい視線という視線に射すくめられ、何度こうしてただ目の前の土だけに、失望の目を落として歩いてきたことか。職場の同僚や読者からは「ゴンタさんのそうした世捨て人のような、自虐的な筆さばきが好きなんですよ。これぞ庶民派作家ですよ」とたびたび慰められてもきた。
 書いては歩き、途中で立ち止まり、また歩いては書きし、まるで夢遊病者のような生活だった。それでも書き続ける。ここでも無駄な紙ばかりが、どんどん増え続けた。
 それでも周りの者の大半は、そんな私の存在に「ベストセラー作品など何が書けるもんか。おまえは所詮、名もない路傍の一作家に過ぎなかったんだよ」と、半分あいつに時代の寵児になられてはたまらない、とそんなやっかみもあってか、私の出現に警戒しつつ挙(こぞ)って私という人間を蔑(さげす)んでいた。書けば書くほど「あいつの作品はだめだ」と一方的な烙印を押される悲しさは、すれ違う際の相手から発せられる視線と皮膚感覚のようなものから分かった。

 そうこうしているうちに<それほどまでに書く環境に恵まれていて一体、何が不服なんだよ。十分、世の中に知られてきてるじゃない。知名度だって出てきてるじゃないの。もっと書いて書いて書き続けてもらわなくっちゃあ。みんな次の作品に期待してくれているんだから。何を自分勝手に僻(ひが)んでいるの>、という声がどこからか聞こえ、大きくなったことも確かだ。こちらの方は、私の味方なのか敵なのか、皆目検討がつかない。おそらく味方なのだろう。
 ここで魂は考える。
 そうだ。それでも私はめげない。たとえ人間炎上という憂き目に遭わされ、私という存在がこの人間社会から抹殺され蹴落とされようと、だ。人間というものを書いて書いて書き尽くそう、と思っている。でなければ、自分自身に対して満足できないのである。自分との戦争なんだよ。

 それにしても、人間といういきものはどうして、そろいもそろってあれほどまでに高邁(こうまい)なのか。どいつもこいつも自信を外に吹聴して生きている姿が透けて見える。なぜなのだ。どうしてもっと素直に生きてはいけないのか。でも、そうでもしなければ生きてはゆけないのかも。人間は、誰もが、みな底知れず弱く、孤独な存在なのだ。孤独といえば、この世に生きとし生けるもの、みなすべてがそうなのだ。
 一方で、魚や花たちにはない残虐さが人間には潜んでいる。残虐さといえば、人間ばかりか、鷹や鳶などの猛禽類、さらにライオン、虎、豹といった肉食動物にもあるが、彼らが人間とは違った本能の世界で生きていることを思えばまだ、救いがある。

 ここで私は話を戻す。
 路上を老いぼれた男以外にも多くの男女が、歩いている。私は、そういう人間たちを見ながら、ふと思う。みな快楽の世界にどっぷりと漬かりセックスをした結果がこうして、この世に生命体となって生み落とされ、それぞれにそれぞれの意識を持たされ歩いているのだ、と。だったら、誰がそうさせるのか。セックスがなければ、人間そのものが存在しなくなる。それも寂しいことだ。やはり、性愛は人間の営みのなかで最高にけだかく、価値あるものでなければならない、と。赤ちゃんとして生まれ出た、その瞬間から人間の尊厳が始まるのではないか、と。そんなようなことをボンヤリと考えつつ、私はその老いぼれた男、つまり生前の私に視線を移していた。

 やがて男は陽射しを避け、大木の下にある公園のベンチに座り、しゃがれた皺の多い手で一冊のノートを広げた。姿の見えない私は男の傍まで行って一緒にノートに目を注いだ。
 ノートには、こう書かれていた。
 サミットで多用された言葉
 =環境汚染、一酸化炭素削減、温室効果ガス、トウモロコシの石油燃料化、バイオ燃料、太陽光、原子力発電と同協定、原発推進サミット、七夕消灯、サルコジ大統領、メルケル、ブラウン、G13案、人類は進んでいるのか後退しているのか、ブッシュ大統領、福田首相、終始上機嫌、開催した異議はあった、成果はあった、化石燃料からの脱却、エネルギー安定供給の観点からは原子力発電がいい、スリーマイル島原発、穀物輸出国・消費国、最低限長期目標、2050年までに50%削減、ドル安、サブプライム、レギュラーガソリン、G7、世界人口の18%、エコ、人間が沈みつつある……
 サミットで多用された羅列言葉は、まだまだペン字による走り書きで何ページにもわたって続くが途中、今度はいきなり鉛筆書きで「人間どもは何をくだらないことばかりをほざいているのか」と書かれ、私の視線は「まず足元から見直せ」と強い口調の自らの筆跡と文面に釘付けとなった。

 足元を見直せと書かれた、そのあとから、鉛筆書きで、また延々と書き連らねられたものが次のような「いらないもの」と「いるもの」の両方の列挙である。
 いらないもの=核兵器、テロ、殺人鬼、病気、舗装道路。利きすぎのクーラー、無理強いのバイオ燃料、おべっか、夏の靴下、多すぎるごはん、竹島、五十肩、山を削ってまでつくるゴルフ場、新名神、東海北陸自動車道、無駄な会議、ヒステリック、地震、台風、豪雨、雷……
 いるもの=家族(愛猫のこすも・ここ、シロ含む)、農漁業、音楽(ビートルズナンバーや泳げタイヤキくんのカセット、他に唱歌や歌謡曲、ジャズ、フォークダンス、ポップス、端唄・小唄の類まであらゆるサウンドミュージック)、八十八という高齢ながら車を運転して自ら栽培した野菜を届けてくれる母、貼り絵の得意な舞の母、妖怪、医師。バイオリニスト。歌手。フラフープ、夏のカキ氷、ヤンキースタジアム(野球の聖地)、長い髪と鏡、野球・サッカーファン、ガブリ(中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター)とドアラ(同球団のマスコット)、パリ・オートクチュール(高級注文服)とプレタポルテ(既製服)、ハーモニカ、三味線、バイオリン、篠笛、志摩の海女さんたち、舞が作るてこね寿司、山崎昌投手、敗戦投手、柔道の谷亮子、マラソンの野口みずき、ハンマー投げの室伏選手、ナゴヤ球場、風のそよぎ、盆踊り、三尺玉花火・スターマイン・ナイアガラ・芸術花火、たる舟、落石防止用のフェンス、渡鹿野(わたかの)島、和倉温泉、城崎温泉、日本海、太平洋、北アルプス、町の明かり、草取り、適量の雨、花火……

 やがて、「いらないもの」と「いるもの」が書き連らねられたノートから目を離した老いぼれ男は、まるで宝物でもしまうように、一度口を尖らせ軽くキスをしてから、その帳面を買い物袋に入れた。魂の私はそれを見ながら、ニンゲンたちは環境に弱くなっている、本来、人間を取り巻く環境で夜が明るい方が過ちだ。夜は元々暗いものだ、暗くていい、などと独り愚痴ていた。

 老いぼれた男がとぼとぼと歩いていたのには、訳があった。
 彼が大切にしていた妖怪猫、こすも・ここが男が炎上する前のきのうから見当たらなくなったからだ。路上に時折、立ち尽くしながらまた歩き出して愛猫を探し回る老人。その傍らを、右手でたばこをプカプカと白い煙をふかしながら、左手で携帯を持ち画面に見入る若い男が何事もなかったように、通り過ぎていった。
 白いボールが飛んできたのは、男がちょうど公園広場の一角に足を踏み入れた、まさにその瞬間で老いた、こすもが草の茂みからボールを追って走ってきたのは、その時だった。男は、まさかという笑顔でこすもの方に視線を投げかけたあと、今度はゆっくりと自らにも言い聞かせるようにウンウンとうなづいた。こすもは、ことし十四歳になる。人間の年にしたら、一体いくつなのか。かなりの高齢であることだけは間違いない。彼女もウンウンとうなづき返しながら嬉しそうに頭を男の足にこすりつけてきた。
 こんな愛猫、こすもを男は常日頃「おまえは人間と何ら変わりがない、だから人間猫なんだよ」と、その姿を見るたびに、頭を撫でながら、そう語りかけたものだ。
 白いボールと一緒に突然現れたこすもは頭をこすりつけたあと、今度は大きな目で男の方を向いて立ち止まり、まるで恋人にでも会ったようにニャア~ン、と甘え声でひとこえ鳴いた。

 私という人間が炎上した二週間後―
 日本列島はしばらく猛暑が続いたあと、なんと今度は思いもしなかった寒冷前線に何日もの間、覆い尽され雪が深々と降り続いた。雪はいっとき風雨と雹(ひょう)を伴い荒れ狂った雷雲が去ってまもなく不意にこの地上にそれこそ、地球が破滅するほどの勢いで降り始めたのだった。白い雪が日照った大地を冷やすようにどんどん、どんどん、どんどんと降り積もっていった。
 「夏の雪」が降るだなんて、おそらく人類史上初めてのことに違いない。天が割れてしまったのか。このころになると、生前の私と妖怪猫こすも・ここの間で公園の一角で交わされた、あの一瞬の視線が死後の魂に宿ってしまったようで私は知らない間に、彼女の目に吸い込まれ、中に入ってしまったようだ。
 まさか、私の死後の魂と人間猫、こすも・こことが、これほどまでの仲になるだなんて。どちらも思いもしなかったに違いない。白い雪の壁が消え、しばらくすると、そこには猫の目で人間観察を始める私がいた。

 こすも・ここの名前は私が生前、あるたけの知恵を絞ってつけた名前だ。宇宙という自然界の片隅に、それもこの悠久の世の中からしてみれば点にすら当たらない「こすも」という一匹の猫が現に生きている、といった私なりの死生観から名づけられた。
 極論を言うなら、人間であれ、猫であれ、何であれ、生きていることには変わりない。むろん、ゴキブリだって、ボウフラだって、メダカだってだ。その証(あかし)にこんな都々逸(どどいつ)まである。
 ―ボウフラが 人を刺すよな 蚊になるまでは 泥水のみのみ 浮き沈み
 森羅万象、ハエやダニの一匹まで、もの皆すべてが、きょうという日を懸命に生きているのである。実際に生きることは相当なエネルギーを要することだ、というのが私の哲学だ。
 だから、何がよくて何が悪いか、もいちがいにはいえない。敢えて言うなら、この世のものすべてが悪くはない。それぞれが必死に生きているのだ。また、そうしたいきものたちの中の何千、何万、いや何億分の一に当たるのが、人間界だと思う。でも、こすも・ここに言わせれば、この見方は全くもって取るに足らないはずだ。彼女たちには、また彼女たちなりの論理があるのかもしれない。

 こすも・ここは、先ほどから人間の目になって目の前の光景に見入っている。心持ち首をかしげ口を真一文字に結んで、いつものように両手を足元できっちりとそろえて、視線を一点に合わせる表情は私が生前見ていた、こすもと少しも変わらない。ただ加わったのは、こすもの視線に私の魂が混在し宿っていることだ。
 そんなこすもが突然、毅然とした眼差しで立ち上がった。何やら、盛んに掴もうとしているのは、人間たちである。ここでは嘘のような本当の光景が繰り広げられている。こすもは知らぬ間に巨大猫と化し小人(こびと)のような人間たちを両の手で抑えこむと、こんどは研ぎたての鋭い爪と牙で肉片を頭、首、胸、腹、腰、ペニス、足、手……と食い千切って一つひとつ捌き、うまそうに食べていった。食べれば食べるほど、その口の中の舌までがだんだんと幾何級数的に大きくなっていく。モグモグ、モグモグ、モグモグと満足そうに食する音が今度は彼女の目の中にいる私の魂にまで不気味に聞こえてきた。
 「人間がなんだ」「人間が如何(いか)ほどに、というのか」「わたしたちだって必死に一瞬、一秒を生きているんだから」「わたしの爪と牙を見ろ」「人間どもはなんで、そのように食い千切られているか、をよく考えろ」「この世のなか、おまえたちだけのためじゃない。忘れてもらっちゃあ困るね。この世のいきものの中で、他のどんな生物に比べても罪悪感の多い人間たちもとうとう炎上して消えるんだ」
 ふぐふぐ、ムニャムニャ。ふぐふぐ、ムニャムニャと彼女のはしゃぎようときたら、留まるところを知らない。目、手、足、顔とだんだんと大きくなってきた。気がつくと、そこには、こすもの妹であるシロ、タンゴ、そして昔、能登半島で共に暮らしたことがある、あの愛猫テマリちゃんまでが、かつて私たちと関わった猫という猫が全員集合して寄ってたかって人間どもを食い散らしているではないか。みな巨大猫と化し、お腹のなかは、ゴロゴロ、ゴロゴロ、ニャン、ニャンとご機嫌さまだ。
 私はこうした惨状を目の前にし、これは猫たちの人間社会に対する氾濫、いやいや逆襲にほかならない。いよいよ、人間たちが消される日がきたのだ、と漠然と思っている。それにしても、猫たちの、この怒りときたら一体どうしたことなのか。

 惨劇に遭った人々は、日本人ならたいていは知る世界のリーダーや日本の政治家、国家天下を論じるマスコミのエセ人間たちばかりだ。猫たちは、白い雪に赤く染まった小人(こびと)人間を何度も何度も足で踏み潰し、踏み潰すほどに一匹一匹が信じられないほどにますます大きくなっていくのだった。ムギュムギュと押し潰され、いとも簡単に食されてゆく。雪の世界に血しぶきをあげ鮮血が噴き出る光景は、想像を絶する異界そのもので巨大化したマンモス猫たちはそれでも「温暖化がなんだ、と」「環境破壊が、どうしたのだ」「みーんな、おまえたち人間の仕業ではないのか」と叫んでいる。
 魂はどうしてよいものか、が分からない。とんでもない魔界に入り込んでしまったようだ。

 こすも・ここの目は、その一方で集中豪雨で増水した川の氾濫や嵐、大地震の惨状も見ていた。両手をそろえて座り、口はグイと結んだままである。川の氾濫が民家という民家を押し流してゆく。嵐が、愚かなミサイルも含めたありとあらゆる飛行物体を撃ち落とし、大地震がとうとう新幹線までを転覆させ、何百、何千、何万、何億人もの命を一瞬のうちに奪い取った。私という魂は空中に浮かびながら、自身が一体生きているのか、いないのかが分からず意識が朦朧かつ混沌としていることだけを、おぼろげに感じている。

 今度は、こすもの目の中から飛び出た私の魂がこの世の中を自由奔放に浮遊し始めた。
 浮かびながら、一体全体、人間といういきものがどんなものか、想像を巡らしている。
 いきなり、浮遊する私に向かっていつもの女がポツリポツリと終わりのない時計の秒針音のように語りかけてきた。
「本来、夜って、暗いものじゃない。七夕消灯という発想事態おかしいよ。当たり前のことをするだなんて。人間が壊れている証拠よ。自然に無理させちゃあ、いけないんだってば。ただ、それだけのことなのに。なんで一酸化炭素を二〇五〇年までに五〇パーセント削減だなんて、小手先だけの議論になるの。第一、削減出来たかどうか、をどうして調べるのよ。それ以前に、それこそ人間の叡智として、まず実行に移すことがあるのじゃないの。たとえば、夜間九時以降はすべて消灯しちまうとか。行灯(あんどん)や提灯どころか、蝋燭(ろうそく)の火さえあれば、暮らせるじゃないの。昔の人々は、それで十分生きてきたじゃない。」
「元々、夜は暗いものなのだから。そこへ人間たちの都合だけで強引に光を投げ込むなど、もってのほかだわ。ムードも何もあったものじゃない。自然に無理させちゃあいけないんだよ。だから、セックスレス世代が増えちまう。第一、明かりばかりの場所なんて、ムードも何もあったものじゃない」
 私の魂全体が女の口から何度も繰り返される「夜は暗いもの」「自然に無理させちゃあいけない」の言葉に洗脳されていった。

 こんどは私の口から発せられる妖艶な独り言が、どこからか<かぜ>に流れて聞こえてきた。
 ーきのう、私は夢を見た。星の下の渚に互いに若い裸体を沈め、あなたと久しぶりに激しく抱き合っている、チャポチャポという波の音。そのなかで二人は夢中に上になったり下になったりし、互いに乾いた唇を吸い求め、髪の毛一本まで、男と女の、その部分を何度も何度もまさぐりあい、時には交互に手荒なほどに舐め回し、これ以上にはないほどに激しくもつれあっている。そんな夢である。
 人魚のようなあなた。ひと息つくと、赤いバラを口にしたあなたは、大きく片足をあげ、全身をくねらせ右手を空に向けてあげた。仰向けに浮かせた白い豊満な腰がくねる。酔ったように片手をあげたまま、月光の下、私から、その部分のの愛撫を受ける姿は、たったいま生まれ出た芸術作品そのもので私は全身を硬直させ、あなたのその中に足をはさんでのたうつように突進していった。
 やがて二人の性交がおさまると、いったんうつ伏せになったまま死んだように動かなかったあなたはこんどは一人、静かに立ち上がった。月光に映えた黒髪と裸体、指の一本一本までがこの地上に影を落としている。なんと美しい光景だろう。
 海辺なのにこんどは不思議と私たちの耳元に川の流れがせせらぎとなって聞こえていた。どこかしらから、私が吹く篠笛の音が流れてくる。その音は海女さんたちが海のなかで吹く息遣いともいえる、あの呼吸だ、磯笛のように大きくなったり小さくなったりしながら順々と、こちらに近づいてきた。笛そのものに人格が宿されたような、 そんな哀愁を帯びた音曲でもある。
 ヒューヒュッヒュッヒュー、ヒューヒュッヒュッヒュー…ヒュヒュヒューヒュ、ヒュヒュヒューウヒュッ
 透明感のある音がますます近づいてきた。
 時折吹くかぜに、私は思い返したように、あなたの頭髪や顔、耳、わき、手、足、さらには腹部から腰、手足の爪先、足の裏へと息をふきかけ、そのつど愛を確かめるようにその部分を噛みしめてみる。やがて、ふたりは立ったまま再び結ばれ、あなたは上半身のけぞり返ってのたうつ。 私たちは、これ以上の愉楽はないというほどに嗚咽し歓喜の世界に、どこまでも深く底の底まで堕ちていった。甘美なあなたの身心を得れば、もはや何もいらない。
 気がつくと、今度はふたりのシルエットが映像となって月光の下の見えないカーテンに映し出されていた。あなたの消え入りそうな、しかも宇宙の果てまでも聞こえそうな微かな、よがり声。五本の指と爪がカーテンの右と左に大きな影となって映しだされる。白い裸体といきものそのもの、とも言える両手の影絵。そればかりか、ふたりの裸体が余韻となって月光のなかにほんのり照らし出されていた。
 どこからか、また笛の調べが聞こえてきた。
 そういえば、かつて私とあなたは、河畔や公園、海沿いの砂浜や渚に互いの裸体を横たえ、幾度となく肉体を貪りあった。愛に溺れ、涙まみれとなり互いに甘いひとときを過ごしたのは、もう何年前のことだろう。そこには自然と同化する美しい原色の世界があった。決まって、篠笛を海とあなたに向かってふいたものだ。音曲は男はつらいよや、夕焼けこやけだったり、越後獅子、さくら、天城越えだったりした―

 ここで魂はふと我にかえり、これまでの独り言が夢想の想像セックスだったことに初めて気がついた。そういえば、魂だけになってしまった今、セックスという世界が随分と昔のものだったような気がしてならない。ふと、温暖化防止以前に、人間本来の深くて広い性愛の方がずっとずっと貴重な営みに思われてきた。


 
 それでも私の魂は、まだまだ健在で陽炎(かげろう)の如くこの世に、フワフワ、モヨモヨ、サワサワと浮かんでいる。そして浮かびながら、毎日毎日いろんなことを考えている。

 突然、話が変わってしまう。魂という私は悪い癖で相変わらず、毎日、それがまるで日課ででもあるように新聞の活字に目を注いでいる。視線の向こうには、いま人間たちが真剣に話しあっている温室効果ガスの削減とやら、北京オリンピック開催を前にした現地の厳戒ぶり、そしてニンゲンたちの叡智が結集された開会式、その後の熱戦、さらには甲子園での熱闘の模様などが映し出されている。あのおそ松君、天才バカボンで知られた漫画家赤塚不二夫さんの悲報も報じられている。でも、今となっては、どんな報道であれ、私には関係ないことだ。どうでもいい気がする。
 そんなことより、私は愛猫、こすも・ここの目の中で魂そのものが次第に妖怪となって膨らんでゆく自分を感じていた。
 いまから思えば、私という人間が炎上した、あの時こそが、人間たちがその存在感すべてを失い、蛆虫(うじむし)同然と化してゆく分かれ目だった。確かにあの日は他の人間たちも悉く炎上し、人間という人間が我侭三昧に暮らしていた、そうした自堕落極まる世の中そのものが消えていった。自然の流れに逆らい続け、文明や科学社会の創造ばかりを連呼し自分たちの快楽ばかりを追い求めた結果が、自然界のしっぺ返しとなって現れたのだ。 おそらく、あの日、地球上のありとあらゆる人間どもが豪雨と雷鳴がとどろくなか、火炙(ひあぶ)りの刑を受け炎上して逝ったに違いない。大人も子どもも。男も女も、だ。神の沙汰は、炎上の際、痛みと互いの哀しみ音だけは抜き取ってくれたようだ。

 私は、ここでつくづく思う。
 人間たちは、やらなくてもいいことばかりをやらかしてきた。コンクリートの舗装道路を剥いでまた、そこに舗装路を張りつける。勿論、耐用年数が来たから、ということもあろう。でも、素人目にも舗装路は、明らかにまだまだ使えるのである。愚かとしかいいようがない。これでは徒労ではないのか。僅かな救いは、そこで働く工事業者の生活の糧が得られたということだけだろう。でも、こんなに早く舗装道路を張り替えるぐらいなら、いっそのこと、せめて一角に緑地帯とか水辺でも作るといった、そういった知恵は働かなかったものか。

 ともあれ、人間といういきものは、誰もがそれぞれの自意識の中で身勝手に生きてきた。だから正直言って、家族とか、よほど親しかった人でない限り、誰が死のうと表面をつくろうだけで実際は関係なかったのかもしれない。
 一方で本当は我関せずでいたいのに、見栄を張る。見栄が虚飾を生み自分をよく見せようと背伸びをする。そこに無駄、無駄、無駄の連鎖が起き、これらが雪達磨(ゆきだるま)のように巨大化する。今では誰もが常備薬以上に手にし通しの携帯電話しかり、着ているものしかり、持っているものしかり、話すこと、見るもの、食べるものと、すべてがしかりの、虚飾の世が蔓延している。人間の心ばかりが虚飾という空気で風船を膨らますように、ぶくぶくぶくぶく、プクプクプクプクと膨れあがってゆく。
 ただ、救いがないこともない。本を読んだり、字を書いたり、農業にいそしんだり、声を出して歌などを唄ったり、楽器を奏でたり、お酒をともに飲んだり、フォークダンスや社交、ジャズダンス、フラメンコ、民謡などを踊ったりする。ほかに神社境内などで行われる盆踊りやコンサート。これらは虚飾じゃない。人間本来が持ち合わせた、天才バカボンたちも盃を手に「これでいいのだ」と驚くほどに捨て難い、よきものだと言ってよい。
 人間出身なのに猫の目に妖怪変化し、人間の悪口ばかりを言う私の愚痴は、さらに輪をかけ批判の度合いを大きくしてゆく。

 薄情といえば、ある日突然に知人の死を知らされたところで誰もがうわべではご愁傷さま、と手を合わせるものの、内心は意外と淡々としている、ベロを出している、そうした現実だ。他人(ひと)事でなく、私とてそうだった。そして人間誰とて死んでしまえば、それまでの貴重な命が一人当たりたかだか三千円~一万円の香典で儚く夢幻(ゆめまぼろし)と消えてしまうのだ。俺だってそうなんだよ。
 あぁ~それなのに。皆がみな、黒い喪服に身を包んで亡き人に頭を垂れ、手を合わせて拝む。それはそれで結構だが、これとて私には無駄が多い気がしてならない。数珠を手に心安らかに亡き人を黄泉(よみ)の国に送る。このことは確かに大切だが、夏のカンカン照りのさなかに、どうしても喪服を着込む必要があるのかないのか。どんな批判を受けようが、私はノーと叫びたい。
 せめて私の葬儀だけでも、と生前、「父からの遺言状」として子どもたちだけに、書き残しておいた遺言状がある。こんな内容だ。
 ―みんな、私が死んだら決して喪服による葬儀はしないように。黒い服をそろいもそろって着て葬儀に参列していただくことが、死後の私の魂を撹乱するからである。
 これは現実の人間社会では暴言かもしれない。
 それでも喪服を着て葬儀に参列することが日本文化だと信じる人たちが喪服で出てくださる分には、それはそれで嬉しく思う。ただ私が言いたいのは、たとえば夏の暑い日に、土砂降りの雨の日などに、わざわざ体に重たく感じる服を着て来てもらうのが心苦しいのである。
 それから、なぜ喪服なのか、とも思う。これこそ「なんて礼儀知らずな奴だ。馬鹿もん」と一笑にふされるやも知れないが普通のラフな服装でいいではないか、と思う。生前、亡き人との思いが染みた思い思いの装いで葬儀会場に出るというのは、どうだろうか。
 浴衣でもドテラでも、背広でも、スポーツシャツでもジーンズでも、ミニスカートだってよい。ドレスや着物でもおかしくない。大歓迎である。数珠は手にした方が良いとする人なら、手にしてきたらいい。とにかく今の人間たちのする枠にはまった型通りの葬儀が私にはあわないのである。喪服などというものは、私の葬儀に関しては無駄なのである。
 それより、亡き主人がいつもかわいがっていた猫ちゃんがいたら、その彼女を同伴して来てくれた方が、もっともっと嬉しい。たとえば、こすも・こことか、もう一匹の愛猫シロがいたら、葬儀場も一段と個性的なものとなるだろう。
 欲を言わせてもらえば、もうずっと前に死んでしまいはしたが、小牧に居たころ一緒に住んでいたわが家の番犬・ポチとか、能登で共に暮らし大垣で交通事故死したテマリちゃん、能登で飼っていた兎のドラえもんちゃん、こうした亡き家族の骨壷を持って来てくれるなら、なおさら嬉しいのだ。
 そして当日は次のように経を唱えてくれたら、もはや何も申し分はない。

 佛家大事の因縁は 生(しょう)を明(あきら)め死を窮め
 生死(しょうじ)即ち涅槃(ねはん)ぞと この理(ことわり)を証(さと)るべし
 身を観ずれば水の泡  命おもえば月の影
 ひとり生れて独り死す 生死の道ぞさびしけれ…(修養心鑑・発菩提涅槃章より)

 遺言状とは別に、そういえば、定年後に周りから受けた、あのどうしようもないほどに冷たい視線。あれも私にとっては、屈辱そのものだった。が、これとて私一人の勝手な思い込みで、周りの人々はそんなことはつゆほど思っていなかったや、しれない。案外あったか、かった気もする。
 人間の感情というものは、所詮一人合点で、こうしたものかもしれない。それでも私はまだまだ新聞に書くという貴重な仕事を与えられ、内心「俺だって、まだ第一線で原稿を書いて働いているんだよ」と自らに言い聞かせる。納得させること自体が、既に被害妄想かもしれないのだ。
 人間とは、なんて厄介ないきものなんだろう。

 魂の回想は、まだまだ続く。
いま振り返るに、自らの体験から言っても、人間が大きく変わるのは、やはり人生の節目を迎えてからの気がする。これは生前の私自身にも言えたが、この社会、ごくごく運の良かった一部を除き大半の人間たちがある年を境に、たとえ引き続き働くことになろうが、給料は当然のように、まるでエスカレーターからガタンと突き落とされるように激減する。そうなると、生きてゆくには、それまでの僅かな蓄えと年金だけが頼りだ。が、その年金とて近ごろでは国家による年金泥棒にあい、年寄りになればなるほど、より大きな税引き負担という新たな悪魔に脅かされ、おぼつかない。
 組織のなかの位置づけもそれまでのラインに乗っていたころとはほど遠く、どこかで仲間はずれにされ、疎外感がつきまとう。人間としての存在のありようそのものがガラリと様変わりしてしまうことも事実だ。それまでは何かとこちらを向いていた輩(やから)が、踵(きびす)を返すように背を向け離れてゆく。
 まるで人間の価値そのものが奈落の果てまで真っ逆さまにどこまでも堕ちてゆくような、そんな錯覚にさえ陥る。人間そのものの価値までが下がってしまうのだ。人は、それでも生きてゆかなければならない。実際、私はそうした中で、つい先ごろまで生きてきただけに、いましみじみと人間社会の冷酷さと身勝手を思うのである。
 でもさ、と魂の私はまたまた人間というものをあらためて検証してみる気持ちになった。

 行き場を失ってしまった私は見えない存在のまま、空中で大きくひと呼吸した。すると、そこには夥しい人間たちが、まるで何コマもの映写フィルムのように次々と、大画面に姿かたちを替えて写し出されてくるのだった。
 ―少年のころの山や川。朝食を囲む家族。路上で繰り広げられるカッチンダマ遊び。白黒テレビに大相撲。集団登校する子どもたち。木曽川河畔。物干し竿に洗濯物。自転車で通う中、高校生。赤い夕日。校舎。時計台。鞄を手に背広姿でバス停に向かう男。道路を走る車。ヒボの曼荼羅(まんだら)寺。カラーテレビ。能登半島は七尾の一本杉通り。日本一大きいデカ山。和倉温泉の3尺玉花火。七夕祭り。アーケード街。ちいさな町のリサイクルショップ店。愛栄通り。交差点。電車から吐き出される人、人、人。地下鉄を降り階段を上り、社に向かう男。取材ヘリコプター。新聞社の編集局内。つい最近町の映画館で見て感銘したスタジオジブリの宮崎アニメ映画「崖の上のポニョ」、そして高層ビルのその向こう側には雲ひとつなく、青空が無限に広がっている……
 みな、いまとなれば懐かしい光景ばかりだ。

 そういえば、いつだったか、私は千葉であった義姉の母君の葬儀に向かう途中、東京駅での光景を、次のようにメモ帳にしたためた。
 ―きょうも無限の人々とすれ違った。それこそ、夥しくも多くの人々と、だ。ましてや、舞台は大東京駅。私は、この日、何千、いや何万人もの人々と互いにひと言の会話を交わすこともなく、アッという間にすれ違った。もはや、おそらくは二度とこの世では会うことのない人たちばかりである。

 独り悦に入ってこの世の不思議さに思いをはせていると、こんどは画面の視界がガラリと開け、色彩感にあふれる光景が目の前に現出した。
 先ほど来からの山や川、凧揚げ中のタコ。朝食、洗濯物、リサイクルショップ、小学生、自転車、車、地下鉄、高層ビル……の類(たぐい)が一つところにまとめられ、まるで宇宙遊泳でもするように逆転し、ドンどこドンどこと、それまでとは全くかけ離れた世界へと、一気に逆流し大渦巻に吸い込まれ、そのまた奥深くに引きづり込まれていった。
 しばらく漂流し気がつくと、今度は一変し、目の前に深海が広がっているではないか。大小無数の魚が自由奔放にグイグイと力強く泳ぎ回っており、海草という海草もユラユラと伸びやかだ。そして今の今まで地上にいたはずの人間たちがすべて消えていた。そこには代わりに、それまで人間たちが生活を共にしていた電気洗濯機やら白黒、カラーテレビ、冷蔵庫、食卓といった生活用品から、町並み、スーパー、アーケード街、地下鉄、バス、新幹線、エスカレーター、高速道から飛行機までありとあらゆるものが、それこそ夜の闇、いや深海に浮かぶ百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)の如く浮かんでいた。
 どの物体も化け物と化して波の間に間を、ユラユラ、ユラユラと悪さでもするように動き、はしゃぎまわっている。
「海といういきものは、悪という悪のすべてを妖怪にしてしまうものなのか。」
 私は壮大な深海の光景に圧倒され、目を疑った。

 と、今度は気が遠くなるほどの大海原に人間たちが映し出された。そこが大魚に悉く呑み込まれた異界であることは何を隠そう。そこにいる人間たちが一番に自覚し、また知っているのである。私自身はといえば、自らの目に当初、深海と映ったその場所が実は魚の体内だったということに気付いたのは、それから間もなくしてからだった。
 目を水平線に転じると「ざまぁーみろ、いい気味だ」といった魚たちの声が波の間から音楽を奏でるように無数の泡ぶくと共に聞こえてきた。「どれほど多くの私たち魚が、人間の手で捕獲され自由を奪われてきたことか。ある者は家族や恋人までを失い、おまけにわれわれの魚体を食いつぶすなぞ、あってはならないことをどれだけの人間たちがやってきたことか。我々はそうしたあくどい獣たちを許すわけにはいかない。」とも。
 貪欲(どんよく)極まりない人間たちは、こんどは魚たちの逆襲にあっていたのである。やがて<深海>に住む人間と言う人間が大魚の歯に切り刻まれ、赤い血と言う血を海の人間牧場に大量に流し「いやだいやだ」とかぶりを振りながら大きな声で泣き叫ぶ。そこには、腕白時代を共に過ごした、あのター坊やヨッちゃん、チカヒロ、銀坊、美智子にしゅん坊、和代たちもいるではないか。みな、「いやだ、いやだよぉ」と大声で叫んでいる。
 やがて、これらの悲鳴と絶叫がおさまり、眼前には人間たちの遺体が累々として海底に山と沈殿してゆく。そんな姿が次々と大きく眼前に迫りきた。私という魂は、ター坊たちを助けようにも助ける術ひとつ分からないまま、ただその場に浮かんだままでいた。
「人間たちだって捕獲したあげく、刺身包丁で魚という魚から、伊勢エビ、貝類まですべてのいきものを切り裂き、いのちまでも食してきたではないか。これぞ、お互いさまだ。」
 海の番人である魚や貝、海草たちは、みな、こう口々に叫んでいる。ニンゲンを許せない。あなたたちをを許すわけにはいきません、と。
 海が一瞬の閃光に包まれ、地球が大音響とともに破裂したのは、そのときだった。

 二〇〇八年八月十日。
立秋(七日)は、とおに過ぎ、前夜来の雹まじりの雷雨もやっとおさまり、猛暑と炎熱続きだったこの地上にも時折、心地よい風が吹き始めた。その日、魂と化したまま大気を浮遊していた私は何事か、ガタンという振動音とともに目覚め、元の人間に戻ったようだ。

 名鉄犬山線江南駅のプラットホーム。
 ―音も無く、最近出来たばかりの地下からプラットホームに急速度で上がってきたエレベーターの透明な鏡に、快速特急「セントレア」の出発を見守る男の姿が映った。どきりとして、よく見ると、そこにはめがねをかけた私の普通の顔が映っていた。吊り革を手に車内でノースリーブの白い腕も露わに立つ若い女に気付いたのは、その直後に乗った列車が動き出して、しばらくしてからだった。
 何げない日常生活のひとこまだ。

 私は帰りの電車の座席に背を横たえたまま急激な衝撃音で異界から異界に戻ってきた自分に感づき、ひと安心した。なんだかんだ、と喚きながらも人間たちはまだ まだ、この先も逞しく生きてゆくのではなかろうか。わが家の妖怪人間猫、こすも・ここの神秘的な目と魂からやっとこせ、抜け出た私はふと、そんなことを思った。
 そして、こうも呟いていた。
「帰ったら、頓珍漢(とんちんかん)な夢の中でまで私に付き合ってくれた、人間なら百歳をとおに超えたであろう、愛猫、こすも・ここに元気に生還したことを伝えてあげなくっちゃあ。むろんシロちゃんにも」
 あっ、そうそう。もうひとりの妖怪妻も私のことを心配しているに違いない。
 さあ、人間社会に帰ろうか。ねっ、!  
(完)

08年9月6日

ウェブ作品集

伊神 権太

実録随想「残り花」

 私のからだが鱶鰭(ふかひれ)となって、大きな団扇で煽られるように、この地球上でゆらゆら、ユラユラと燃え始めた。周りは静寂そのものだ。空からは稲妻まじりの激しい雨までがまるで天が割れんばかりに地表に降り注いでいる。
 手の先、足の爪、頭のてっぺん、鼻の先、乳首、肘、膝、目ん玉、かくして口、勃起したペニスの噴射孔、お尻の穴、夥しい毛穴からも、ありとあらゆる部位から煙が出、次いであとを追うように真っ赤な炎が立ち始めた。雨が激しくなればなるほど、雷鳴が轟けば轟くほどに火焔はますます勢いを増し空高くあがってゆく。
 不思議なことに、からだの鋭角になった先々や膝、突起部分にはいつのまにか、フカのヒレのような鱶鰭が付き、この部分だけはまるで大気のなかで遊泳でもするように、ひらひら、ヒラヒラと<かぜ>に流れている。火は、その鱶鰭にも次々と燃え移った。夥しい火気が豪雨をすり抜けるようにして空に吸い込まれてゆく。恐ろしい光景だ。
 全身が赤く燃え盛っている。火焔(かえん)の中にすっぽり包まれた私には、もはや熱い、とか痛い、という感覚は消し去られているようだ。これほどまでに荒れ狂う暴れ雨の音ひとつ聞こえはしない。一体、何者がすべてを消滅させたのか。

 私はふと、ニンゲンエンジョウ、ニンゲンエンジョウだ、とまるで他人事(たにんごと)のようにつぶやいていた。これでは、人間炎上だ、と。私という人間はもはや、生きていても何の価値もないのか。いや、この世から人間たちが抹殺される時が愈々(いよいよ)やってきたのだ。自然界からのわがままな人間に対するしっぺ返しか。

 物語のきっかけは、少し前にさかのぼる。
 私の脳細胞は、あのころから混乱し大気のさなかを浮遊し始めていた。
 ―パソコンで料理が出来るというのか。洗濯(せんたく)も、掃除も出来ない。もちろん野菜ひとつ育てられない。魚を獲る海や河川での漁だって駄目だ。病気だって治すことは不可能だ。ましてや、男と女が縺(もつ)れあうセックス(性交)などという気高く高尚なこととなると、とても出来っこない。だから子どもなんて、とてもつくることも産むことだって、できない。病人に付き添っていたわりの声をかけてやる。こんなことだって出来っこないのだ。
 目で見、耳で聴き、足で歩く。
 人間にとって一番大切なことが悉く出来ないのだ。なのに人間どもはパソコン、パソコン、メール、メールと浮かれ、さらには新世代の携帯電話が発売されるとやら、でケータイ、ケータイと声を張り上げている。若者たちは、いつのまにやら、2ちゃんねるとか、ミクシとか言うおかしな代物(しろもの)にはまり、夜通しチャットなるものにうつつを抜かしている。そう言う私自身もいま、クーラーの効いた自室でこうしてパソコンのキーを打ち、小説を執筆している。
 実は、私はこの人間炎上ス、を広く世に問うことで、皮肉にもパソコンとインターネット、メールに代表される人間社会への造反、反逆を企てようとしているのだ。

 ところで稲妻の閃光にあわせるかの如く気が狂ったように降り注ぐ夥しい雨のなか、火の海に包まれてしまった私という存在は、その後どうなったのか。どうやら燃え滾(たぎ)る火の中で全身が融けてしまい、魂だけになってしまったようだ。魂だから意識はある。いや、意識だけはより鮮明となって、この大気のなかで浮かんでいる。
 魂になった私は、それでもなお付いて離れない自身の心の襞(ひだ)に向かって叫んでいる。パソコンで何が出来るというのか。野球が出来るというのか、と。中日ドラゴンズの山本昌投手のようにプロ野球で200勝達成が出来るというのか。可能なのは、先日札幌までドラゴンズ対日ハム戦の観戦ツアーに同行した時の出張申請を出すぐらいのものだ。ほかに、あえて言うなら、毎月出す携帯電話の使用料申請も、か。
 今度は私という魂が歩きながら考えている。何事もなかったように静かになった大気。その中に浮かんでいる魂が歩いては止まり、止まっては歩いている。夜なら、歩くときは火の玉が闇夜にふわりと浮いてそろそろと動くので、よく分かる。動きながら考え、止まっては考えをまとめ、また歩きだす。まるで妖怪変化(ようかいへんげ)のように、だ。
 魂は、一体全体どこへ行こうとしているのか。
 一見すると、何でも出来そうに見えて実は何もできないパソコンメール社会。まだまだ双方向というよりは、事件が発生するとデスクから一方的に呼び出され、たぶんに強圧かつ命令調だったポケットベル時代の方が良かった。出先にいて、ポケベルが鳴ると本当に緊張したものだ。殺しが発生したときも日航機墜落、次男坊がうまれた時だって、みなピコピコッと胸元でなるポケベルだった。一つとして不必要な連絡はなく、随分と感謝している。
 それに比べパソコンメール社会といったら、どうだ。一見、何でもできそうな顔でいて、いざとなると、生身ではすぐに対応出来ない。これは、という時に限って実はあまり役にはたたない……。そんな社会などはゴメンだ、と。身体から抜け出た魂は何かを求めて歩きだしているようだ。パソコンどころか、電気も何もない火打ち石による火やろうそく、行灯(あんどん)だけの時代に向かっていくようだ。

 そういえば、炎上した私は前にも触れたが、全身、火達磨(ひだるま)となりながら不思議なことに、いったい熱さも痛さを感じないどころか、パチパチと炎上し尽くす間にその火音(ひおと)さえ聞いてはいない。いや、聞こえてこないのだ。
 一方で、知らない間に仲間の魂という魂が私の周りに寄せ来る波の如くフワフワと浮かび上がり、まるで行灯の丸い光が闇夜に無数に点滅しているようだ。これら魂たちは、どれもこれもが私と同じように、つい先ほど私と運命をともに炎上し尽くした人間たちに違いない。それぞれが、それなりの意識を持って浮かんでいるはずだ。

 ここで私はつくづく思う。
 この人間社会から電気なる文明をすべて取り上げてみたらどうか、と。電飾に彩られたけばけばしい程の夜、これだけはなくなり、空や星、川、山、海といった自然のままの地球の存在感が見直されるだろう。
 大都会東京。首都高速。名古屋駅周辺の白い高層ビル群。コンビニ。東京タワー。歌舞伎町の夜のネオン街…と、ありとあらゆる世界が星空の下に晒されるのだ。
 それはそうと、星の光りって、一体何奴(なにやつ)なのだ。常識的にも空中に黒く浮かんでいたって何ら可笑しくはないのに。星という星がキラキラと光っているのである。それも地上が暗ければ暗いほど美しく輝いて見える。天の川が星たちの集まりなんだって。これは一体どうしたことか。地球だって、他の天体から仰ぎ見たら、白くキラキラと輝いているのだろうか。
 ともあれ、いま私の目の前の光景は、すべてが月明かりの下に晒されている。気がつくと、私の視界のなかには地球のありとあらゆるものが詰め込まれてしまったようだ。私は、その中の白い高層ビル群に、魂の右手を伸ばし掴んでいとも簡単にビルごと近くの川に投げ捨てた。いまや妖怪と化した魂の私には、そんなことまで出来るのである。
 川は随分と広くて長い。木曽、長良、揖斐の三川にも負けず劣らない。白い高層ビル群はしばらくその川で浮いたり沈んだりしていたが、やがていずこともなく消え去り、同時に川の姿もなくなっていた。いまはただ、人間社会から私と同じように異界に送り込まれてきた夥しい魂ばかりが夜の闇の中を浮かんだり消えたりしていた。

 私という魂は見つめていた。
 この世の中に浮かぶ無駄という無駄の数々を、である。だがしかし、人の世には、その無駄という存在こそが必要なのかもしれない。
 二〇〇八年七月七日。私(魂)は、知らぬ間に通勤途中の名古屋市営地下鉄列車内に居た。目の前に座る白い両の足を組んだ若い女が手鏡を手に、なにやら盛んに取りすました顔で、眉毛の上に刷毛(はけ)のようなもので、何度も何度も鏡の中の自らの顔を覗き込みながら、黒いペンキのようなアイシャドウといったものを塗りたくっている。こんなことをして何の足しがあろうか。女は白い両足を組みなおした。
 それでも彼女は黙々と黒々とした出来損ないの絵の具のようなものを刷毛で恥ずかしげもなく、塗りたくっている。何度も何度も鏡の中を覗きこむ。赤い唇は、お化けのようだ。そういえば、私が慕うマスコミ界のある、どえらいお方が「赤は、けばけばしくて嘘っぽいばかりか、赤字を連想するのであまり好きではない」と言っていたっけ。その通りで「赤」など男の心理からは、とても信じられない。何が楽しくてあんな訳の分からないことをしているのだろう。

 魂はしみじみ思う。
 女のアイシャドウと引き換え無駄でないものと断言できるのが、次のような喜怒哀楽だ。
<勝ったり負けたり 泣いたり笑ったり 喜んだり悲しんだり >
 それはそうと、今シーズンのわれらが中日ドラゴンズは一体全体、どうしてしまったのか。落合博満監督の守り勝つ野球は、どこに行ったのだ。阪神どころか、他のチームにも負けてばかりだ。これではファンも浮かばれまい。だって、ドラの勝ち負け、すなわちファンの喜怒哀楽そのものだからだ。
 でも、野球文化って。「勝ったり負けたり」だから勝ってばかりも、あまりいいものではない。どうせなら、負けて負けて、さらに負けて、負けとおすのも、手かしれない。本物のファンならば、怒り心頭に達しながらも、それでも毎日毎日「きょうは、きょうこそは勝ってほしい」と勝利を願いつづけるだろう。

 そういえば、昔、青春歌謡歌手舟木一夫の歌に「涙の敗戦投手」というのがあった。確か<みんなの期待 背に受けて 力のかぎり投げた球(略)けれど敗れた 敗戦投手…>とか言った歌詞で、私はこの歌が大好きだった。大学受験に失敗するなど、挫折のつど何度も何度も誰もいない所でただ独り、声をあげ口ずさんだものだ。唄っているうちに涙がポロポロ、ポロポロと流れ、どこからか腹の底から新しいエネルギーが出てきたことを、よく覚えている。
 このほかにも赤ちゃんが生まれて、たいそう喜んだり、大学受験や入社試験に受かり有頂天になったり、失敗して落ち込んだり、こうしたいわゆる人間のすなおな感情こそ無駄でなく、絶対的に必要なものだ。半面、夜の明かりなぞというものは、生物社会にとっては何ひとつとして必要ではない。刷毛ペンキも無駄そのものだ。こう言い切ってしまうと「いや、お化粧なのだから大切なことだわ。あなたには、女の純情可憐な気持ちが理解できないんだから」といった反論の矢が、こちらに向かって飛んできそうだ。こうなると、価値観の相違になってくる。完全否定はできないことも分かっている。
 私は燃え落ちて逝った自らの心身を思いつつあらためて、そんなことを痛いほど感じるのである。(さらに、突飛にこうも思う)真夏の靴下とか、若いプロ野球選手らが首や手に巻いている、チャラチャラした金属の装飾品類ときたら、すべてのものが人間にはさして必要ではなかろう。少なくとも生きていたころの私に関しては、こうしたものは無駄だった。
 炎上以前の私は(それは生前ということになるのか知れないが)、よく素足で電車に乗り、ボールペンや鉛筆を手に汽笛の音を耳に、ガタンゴトンと揺られながら、ドンドコド、ドンドコド、と川の流れの如くどこまでも小説を書いたものだ。空き列車に乗るなどして誰もいない車内で鉛筆を走らせることもしばしばだったが、本当を言えば、太陽の自然光のなか、公園のベンチかどこかに座り、出来れば海とか山、空、川を見ながら書くことが好きだった。
 秋なぞ、イチョウの葉が、空からゆらゆら、ゆらゆらと陽炎の如く落ちてくる。そんな光景を見ながら進める自らの筆先には、我ながら感心するほどに無言の音の風景と余韻を感じ、自分で自分に陶酔したものである。
 イチョウの葉を公演の手品師とは、よく表現したもので、私はそんな手品師たちが一枚、また一枚、と地上にヒラヒラと落下してくる姿に女たちの美しくも逞しい裸体を連想し、生きる快感を何度となく味わった。その姿を見るにつけても、すべての面で人間よりイチョウの木の方が上だなっ、とも思った。
 いつだったか、ヒラヒラ舞うイチョウの葉に私にとっては長年の人生の相棒でもあった女が「自然に無理をさせちゃあ、いけないのよっ」とポソリとつぶやき、私を咎めるように見つめた。あの時、私はまさにこの言葉は至言だと思ったのだった。
 自然に無理させてはいけないことに、人間たちはやっと気付き始めたようである。魂の私は、それを見逃すわけにはいかない。

 魂と化した私はいま何かに追い立てられるようにして、この地上(とは言っても、地球に限られてはいるが)のものの観察を始めた。
 最初に視界に飛び込んだのは、何げないかつての日本の風景である。私は歩きながら少年時代に入っていく自分を感じていた。

 ふるさとの家の周りという周りがちいさな山や小川、田畑、畦(あぜ)道、草地、桑畑などに囲まれていた。
ほかにお蚕(かいこ)さんを育てる民家の繭(まゆ)床、鶏舎、豚小屋が点在し雑木林が広がる。一帯が夕焼けに輝く姿は、アニメーション映画に出てくる御伽(おとぎ)の国そのもので、それ以上にカラフルなものだった。そして(それは夏の間に限られたが)小学校から帰ると、上半身裸となって裏の川まで行きメダカやフナ、ザリガニ、ナマズなどの魚をタモ網や素手で捕ったりした。
 山や家の近くの草地では虫籠を手にバッタやキリギリス、鈴虫、蟋蟀(こおろぎ)、蟷螂(かまきり)などを捕らえ持ち帰ったものだ。蟷螂を捕らえる時には、あの長い首に咬まれるのでは、とさすがに緊張した。内心こわごわ、首の部分を絞めるようにしっかりと握って籠に入れたものだ。
 夜になり、どこからかスイッチョ、スイッチョ、リーンリン…と聞こえてくる虫たちの合唱には、子ども心に得もいえない涼感を嗅ぎ取ったりもした。
 小川沿いの土手堤では飼育している兎のえさに、と鎌で草グサを刈り取り家に持ち帰った。草にもいろんな種類があったようで、兎が好みそうな草を見つけることは兄がなぜか、得意だった。雨が降り、川が増水した日は胸が膨らみ、そうした時は上流のちいさな艀(はしけ)まで行きパンツ一つとなってそこから飛び込み、途中、息を何度もつなぎながらも潜水泳法で約百メートル離れた下流の橋まで泳ぎ切ったりした。泳ぎ切ることが無性に楽しかったのだ。川の流れが急な時など、ちいさな体には怖い半面、冒険心も重なってスリリングにも思われた。
 遊ぶのは、川ばかりではない。
 近くの山や雑木林では同級生の美智子や妹の和代ら女の子をお姫さまや御付きの者に仕立てて、竹で刀を削って、それこそ侍(さむらい)気取りのチャンバラごっこに興じ、自宅や友だちの庭先では一つ上の兄貴分、ター坊はじめ同級生の勝弥やチカヒロ、一つ下で親類のヨッちゃん、ずっと年下のしゅん坊らと面子(ショウヤ)やカッチン玉遊びで夢中なひとときが過ぎていった。冬枯れの水田では、みんなで凧揚げを競いあったりもした。空高く舞い上がった凧の糸が電線に引っかかった時の絶望感といったら、それこそ悔しくて一日中、気分が晴れなかった。
 そんな私のトレードマークといえば、上半身、裸の姿だった。夏の間は帰宅後、いつもパンツひとつで、そこらへんを飛び回っていたので、日焼けして真っ黒の私を見た上級生たちからは「黒んぼ」「黒んぼ」と呼ばれてかわいがられた。たまに雨が降って外に出られない日は、家で無心にハーモニカを吹いたり、ラジオにかじりついて名人横綱・栃錦を応援したものだ。
 当時はもう一人の力の大横綱・若乃花とともに栃若時代の全盛期で私は揺り戻しなどの大技の若乃花よりも、上手出し投げや二枚げりなど技の栃錦の大ファンだった。
 いつだったか、得意のハーモニカを吹き吹き「スモウノカミサマ・トチニシキ、ツヨクテヤサシイ、ワレラノヒト、ドヒョウニアガレ……」といった歌までつくり、東京の春日野部屋まで曲と詩を送ったことがある。毎日返事を待ったが、音沙汰はなく、寂しい思いをしながらも「横綱は今はきっと稽古で忙しいからしかたない」と子ども心に自らを戒めたことなど、いま思えば、けなげな少年だった気がする。
 ほかに、冬の炬燵(こたつ)。家族みんなでこの回りに座って白い餅を焼き、こんがりと膨らんだ餅にしょうゆや砂糖をかけて食べた、その風雅な味は、いまだに忘れられない。餅は毎年、暮れになるとは、母の実家である本家(ほんや)に親類中が集まってといで蒸した米を、杵と臼でみんなでヨイショ、ヨイショと掛け声を張り上げてつきあげたものだった。そんな餅つきそのものにも多くの思い出が脳裏に焼きついて離れない。
 さらに、忘れられないものといえば、夏になると寝床に張る蚊帳(かや)があった。蚊帳は面白い遊び道具の一つで中に入って騒ぐことが子どもながらの探検心を煽ってくれたものだ。母が吊り始めた、まだ不完全な膨らんだままの蚊帳は、暗いトンネルの布の中を探険しているみたいで冒険心を誘い、面白くてしかたがなかった。その外側の廊下には蚊取り線香が置かれ、縁側に座った浴衣姿の父の持つ団扇が何とはなしに重々しく感じられた。
 昼間、母はいつも長い長方形の裁(た)ち台を前に着物を縫うのに忙しかった。毎年、暮れになると、それこそ頼まれものが山と運ばれ大忙しだった。裁ち台の一方では決まってお弟子さんがなれない針をすすめており、私ときたらそんなことにはお構いなしで遊びから帰れば、いつも母につきまとって裁ち台の周りを走り回ったものだ。日曜ともなれば、父が廊下の一角で観世流の謡とやらの本を前に時折、咳き込みながらなにやら盛んにうなり声を立てていた。
 さらに盆が近づけば、神社境内まで家族で出向いて8の字型に輪をくぐって家族の幸せを祈る輪くぐりも、子どもには結構神秘的で楽しく待ち遠しいものの一つだった。むろん、盆が来れば玄関先でかがり火を焚いて家族みんなで仏さまをお迎えし、最後は近くの小川でお精霊(しょろい)さまを笹で作った小さな船に乗せお送りしたものだ。むろん、近くの天神さまや神社境内での盆踊りにも足しげく出掛け、母や妹と一緒に河内音頭や春駒、郡上踊りなどを見よう見まねで踊りもした。あの懐かしい日々は二度とやっては来ないだろう。

 でも、よくよく考えてみると、これら小学生のころの思い出に無駄なものは一つとしてないことに魂だけになった今、私はあらためて気付いている。昭和三十年前後、郷愁の野山や川、村の広場で繰り広げられた遊びの数々。これらには、どれ一つをとっても無駄なものはなかった気がする。そうした行為によって環境破壊が進むことも、天が割れて気候が壊れてしまうこともなかった。

 私の魂は少年時代をさらに昔へ、とさかのぼっていく。
 山の煙(けむ)り。蒸気機関車。手製で作った弓引き。戦争ごっこをするには、かっこうだった原っぱ。マルサの男だった父が税務署の慰安会か何かでどこかに行った際、同僚らとトラック荷台に乗っていて事故に遭い、しばらく入院していたが、家族みんなで心配したという追憶。兄と一緒に雪深い白い道をかけ、妹の出産を知らせに約二、三百メートル離れた本家(ほんや)まで走って行った思い出。生後十三日目にして引き揚げ船に乗せられ満州から日本の舞鶴港に帰ってまもなく、まだ赤ん坊のころに母の背中で何やら、ウンウン、ウンウンと唸っていたこと(母が赤ん坊の私を背におぶって家の壁塗りをしていたせいだ、とその後に知る)。意識は、だんだんと朦朧と遠去かっていくが、一つだけ鮮明に覚えていることがある。
 それは父の転勤の関係でそれまで住んでいた愛知県の実家から静岡県下のある都市に引っ越してまもないころに起きたある事件である。
 小学校の二、三年だったと記憶している。当時から私は帰宅後は一日中、家の近くの野山を飛び回り、友だちも日に日に増えていった。中に小学校でもかなり上級生でガキ大将仲間でも親分的な存在に銀坊(ぎんぼう)という名の少年がいた。なぜか、私は、その銀坊からの信頼が厚く、可愛い狸(たぬき)に似ていたからか、何かと「ポン吉」「ポン吉」といって可愛がられていたのである。が、それが裏目に出てしまったのである。
 ある日、遊びから帰る途中、いきなり銀坊よりは少し年下、私より二、三歳年上の少年五、六人が私をある悲壮な覚悟を秘めたような、真剣な表情で取り囲んだ。
「おまえは、転校してきたばかりなうえ、チビのくせに生意気だ。いまから銀坊に取り入るだなんて、きさま、どういう気なんだ」
 口々に叫んだ少年たちは、私をそのまま暗がりに引きづり込んだあげく、人けのない民家の白い板塀に押しつけ、身動きできないよう私の体を張り付け状態とした。そして有無も言わせず、いきなりそれぞれの膝で股間部分を交替で次々と蹴ってきたのだ。火が出るような痛さと屈辱。その膝には少年たち一人ひとりの憎しみが込められているのが、よく分かった。私はただ蹴り上げられるばかりで、どうすることも出来ない。
 その部分の痛さにこらえかねた所に兄が来てやっとその場はおさまったが、あの時の悔しさといったら未だに忘れられない。私は、そのままその場に蹲(うずくま)りしばらく立つことさえ出来なかったが、あとで兄から事の次第を知らされた父が加害少年の家一軒一軒を回って「なんてことをしてくれたんだ。それじゃあ、うちの大事な子が死んでしまうじゃないか」と怒鳴り込んだ、と聞いた時には、なぜか嬉しく頼もしい気がした。半面で、私は内心、銀坊に大切にされ過ぎ有頂天になり過ぎた結果が、上級生たちの反感を買い、ああした形となって表れたことを子どもなりに痛いほど感じたのだった。
 以上は私の少年時代の一番の鮮烈な苦い思い出だが、これとて今となっては、何ら無駄なことだったとは思わない。いや、むしろ、こうしたことがあってこそ、私のその後の人格形成になんらかの刺激が与えられたような、そんな気がしてならないのである。
 なんのことはない。
 あのころは、小学校の校舎も木造で小豆島を舞台とした壺井栄の原作映画「二十四の瞳」の中の分教場に出てくるような、小さなかわいい机を前にふたりずつが座って授業を受けたものだ。黒板にいたずら書きをするなど悪さをして廊下に独りだけ、長い間、立たされもした。
 紙芝居のおじさんたちも車を引いてよく田舎まで来てくれた。店にはラムネが有り余るほどに並んでおり、一本五円か十円のラムネを飲みながら、紙芝居をキャンキャン言いながら見たものだ。ほかに旅から旅に渡り歩く旅芸人たちも何回か公民館にやってきた。お釈迦さまの日、春の花祭りが来れば村じゅうの当番の家を順番に訪れ、甘茶をもらって飲み、駄菓子まで駄賃としてもらった。駄菓子を集めて回ることがなんとも楽しかった。
 昭和のいち時代は、このようにどこまでも奥深く、魅力的なものだった。小さな町を車で流しながら、大抵は夫婦でやってくる夏の蕨(わらび)餅(もち)屋さんにも、どこか哀愁が漂う風情があり、首を長くして心待ちにしたものだ。夏が蕨餅なら、冬は焼き芋、蕨餅や焼き芋が回って来ない時には、なぜか「アオダケー、アオダケー、あおだけはいかがですか」と声を張り上げる青竹屋さんがやってきたものである。
 子ども心にも、こうした商売屋さんが現れると、微かに胸の動悸を覚え、村のはずれまで我先に、と飛んでいった 日々もいまでは懐かしい思い出となった。

 私という魂は、またまた現実に戻る。
 人間たちはつい最近、北海道で開かれたG8(主要8カ国)による洞爺湖(とうやこ)サミットとやらで地球規模で進む温暖化と環境汚染問題を巡ってわいわいがやがやと新聞、テレビなどのマスコミが中心となり、騒ぎ立てている。
「地球温暖化は、言うまでもなく危機的な状況です。原油の高騰はとどまるところを知らず、食糧危機は先進国にも襲いかかろうとしています。洞爺湖にかかる霧のような視界不良の真っただ中、重い課題を背負ったサミットです」(T紙社説)といった、いかにもらしい論調が目立つ。
 新聞、テレビには連日、環境汚染、地球温暖化、脱温暖化、温室効果ガス、地球規模、気候変動、石油依存・化石燃料からの脱却、エネルギーの安定供給、地球市民、環境保護、エコ活動、バイオといった言葉が氾濫している。増水した河川から夥しいもっともらしい言葉ばかりが洪水となって垂れ流しになっている、といっていい。

 ここで魂である私は叫んだ。
「何が地球温暖化だ」「何が環境保護、環境破壊だ、エコ活動だ」「何が温室効果ガス排出量を2050年までに半減させるのだ」と。どれもこれも白々しい、の一言に尽きるんだよ、と。なんだか人間たちはおかしい。おかしい、よ。何も世界のあちこちから集まってきて、やれ削減目標がこうだ、とか、ああだとか。そんなことを国単位でいちいち話し合うほどのことなのか、と。先進国と開発途上国との間に当然、国の利便が関わってくるに違いないじゃないか、と。
 人間ならば、なぜ一人ひとりの理性と判断で夜のネオンを止めるとまではいかないにしても半減したり、真夏のクーラーを控えめにしたり、音源を制限したり、余分なものを抱え込まないでゴミ量を少なくするなど出来ないものか、と。ロンドン、パリ、東京、そしてニューヨーク、モスクワ、北京、名古屋……と、世界の大都市が声かけあって地球消灯の日でも作った方が、より手っ取り早い。
 いやいや、そうとは言いきったものの、私自身、生前、クーラーを止めたり、電飾のない町で生活したり、余分なものを抱え込まなかったか。と言えば全くの嘘になるのも間違いない。むしろ、電飾もクーラーも多用していたきらいがある。言うは易し、だが行い難しでもある。少年時代のあの逞しさは、どこかに消えうせてしまい、完全に文明の利器に飼い馴らされた、甘くて弱い人間になり下がっていた。
 事実、夏の猛暑日などクーラーなしでは、とても生きてはおれなかった(ただ、子どものころは、団扇とか扇風機で十分、不満もなく生きていたのだが。私自身、クーラー社会が現実のものとなるに従い、他の人間と同じように環境には、だんだんと弱くなっていってしまったようだ)。人間は、そういうわがままないきものなのである。
 文明が進めば進むほど、奴らはそうした社会に甘えてしまい、気がつくと本来あるべき環境そのものを厭う、環境に弱い存在になり下がってしまっている。

 洞爺湖サミットから半月ほどが過ぎた。
 日本は、相変わらず猛暑に攻めたてられている。温度計は、名古屋、多治見、京都などで、苦もなく摂氏三五、六度を連日、超えている。この按配だと、人間の体温よりも高い日が続く、それこそ温暖化列島が現実のものとなっている。
 そんな炎暑のなか、背中に寂しさがにじんだ老いぼれ男が何もできないまま、ただうな垂れ肩を落として歩いている。男は炎上前の私本人でもある。かつて自分で書いた小説が何ひとつ、どこからも評価されず、「何を訳の分からないことばかりを書いているのだ」と氷の如き周囲の冷たい視線という視線に射すくめられ、何度こうしてただ目の前の土だけに、失望の目を落として歩いてきたことか。職場の同僚や読者からは「ゴンタさんのそうした世捨て人のような、自虐的な筆さばきが好きなんですよ。これぞ庶民派作家ですよ」とたびたび慰められてもきた。
 書いては歩き、途中で立ち止まり、また歩いては書きし、まるで夢遊病者のような生活だった。それでも書き続ける。ここでも無駄な紙ばかりが、どんどん増え続けた。
 それでも周りの者の大半は、そんな私の存在に「ベストセラー作品など何が書けるもんか。おまえは所詮、名もない路傍の一作家に過ぎなかったんだよ」と、半分あいつに時代の寵児になられてはたまらない、とそんなやっかみもあってか、私の出現に警戒しつつ挙(こぞ)って私という人間を蔑(さげす)んでいた。書けば書くほど「あいつの作品はだめだ」と一方的な烙印を押される悲しさは、すれ違う際の相手から発せられる視線と皮膚感覚のようなものから分かった。

 そうこうしているうちに<それほどまでに書く環境に恵まれていて一体、何が不服なんだよ。十分、世の中に知られてきてるじゃない。知名度だって出てきてるじゃないの。もっと書いて書いて書き続けてもらわなくっちゃあ。みんな次の作品に期待してくれているんだから。何を自分勝手に僻(ひが)んでいるの>、という声がどこからか聞こえ、大きくなったことも確かだ。こちらの方は、私の味方なのか敵なのか、皆目検討がつかない。おそらく味方なのだろう。
 ここで魂は考える。
 そうだ。それでも私はめげない。たとえ人間炎上という憂き目に遭わされ、私という存在がこの人間社会から抹殺され蹴落とされようと、だ。人間というものを書いて書いて書き尽くそう、と思っている。でなければ、自分自身に対して満足できないのである。自分との戦争なんだよ。

 それにしても、人間といういきものはどうして、そろいもそろってあれほどまでに高邁(こうまい)なのか。どいつもこいつも自信を外に吹聴して生きている姿が透けて見える。なぜなのだ。どうしてもっと素直に生きてはいけないのか。でも、そうでもしなければ生きてはゆけないのかも。人間は、誰もが、みな底知れず弱く、孤独な存在なのだ。孤独といえば、この世に生きとし生けるもの、みなすべてがそうなのだ。
 一方で、魚や花たちにはない残虐さが人間には潜んでいる。残虐さといえば、人間ばかりか、鷹や鳶などの猛禽類、さらにライオン、虎、豹といった肉食動物にもあるが、彼らが人間とは違った本能の世界で生きていることを思えばまだ、救いがある。

 ここで私は話を戻す。
 路上を老いぼれた男以外にも多くの男女が、歩いている。私は、そういう人間たちを見ながら、ふと思う。みな快楽の世界にどっぷりと漬かりセックスをした結果がこうして、この世に生命体となって生み落とされ、それぞれにそれぞれの意識を持たされ歩いているのだ、と。だったら、誰がそうさせるのか。セックスがなければ、人間そのものが存在しなくなる。それも寂しいことだ。やはり、性愛は人間の営みのなかで最高にけだかく、価値あるものでなければならない、と。赤ちゃんとして生まれ出た、その瞬間から人間の尊厳が始まるのではないか、と。そんなようなことをボンヤリと考えつつ、私はその老いぼれた男、つまり生前の私に視線を移していた。

 やがて男は陽射しを避け、大木の下にある公園のベンチに座り、しゃがれた皺の多い手で一冊のノートを広げた。姿の見えない私は男の傍まで行って一緒にノートに目を注いだ。
 ノートには、こう書かれていた。
 サミットで多用された言葉
 =環境汚染、一酸化炭素削減、温室効果ガス、トウモロコシの石油燃料化、バイオ燃料、太陽光、原子力発電と同協定、原発推進サミット、七夕消灯、サルコジ大統領、メルケル、ブラウン、G13案、人類は進んでいるのか後退しているのか、ブッシュ大統領、福田首相、終始上機嫌、開催した異議はあった、成果はあった、化石燃料からの脱却、エネルギー安定供給の観点からは原子力発電がいい、スリーマイル島原発、穀物輸出国・消費国、最低限長期目標、2050年までに50%削減、ドル安、サブプライム、レギュラーガソリン、G7、世界人口の18%、エコ、人間が沈みつつある……
 サミットで多用された羅列言葉は、まだまだペン字による走り書きで何ページにもわたって続くが途中、今度はいきなり鉛筆書きで「人間どもは何をくだらないことばかりをほざいているのか」と書かれ、私の視線は「まず足元から見直せ」と強い口調の自らの筆跡と文面に釘付けとなった。

 足元を見直せと書かれた、そのあとから、鉛筆書きで、また延々と書き連らねられたものが次のような「いらないもの」と「いるもの」の両方の列挙である。
 いらないもの=核兵器、テロ、殺人鬼、病気、舗装道路。利きすぎのクーラー、無理強いのバイオ燃料、おべっか、夏の靴下、多すぎるごはん、竹島、五十肩、山を削ってまでつくるゴルフ場、新名神、東海北陸自動車道、無駄な会議、ヒステリック、地震、台風、豪雨、雷……
 いるもの=家族(愛猫のこすも・ここ、シロ含む)、農漁業、音楽(ビートルズナンバーや泳げタイヤキくんのカセット、他に唱歌や歌謡曲、ジャズ、フォークダンス、ポップス、端唄・小唄の類まであらゆるサウンドミュージック)、八十八という高齢ながら車を運転して自ら栽培した野菜を届けてくれる母、貼り絵の得意な舞の母、妖怪、医師。バイオリニスト。歌手。フラフープ、夏のカキ氷、ヤンキースタジアム(野球の聖地)、長い髪と鏡、野球・サッカーファン、ガブリ(中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター)とドアラ(同球団のマスコット)、パリ・オートクチュール(高級注文服)とプレタポルテ(既製服)、ハーモニカ、三味線、バイオリン、篠笛、志摩の海女さんたち、舞が作るてこね寿司、山崎昌投手、敗戦投手、柔道の谷亮子、マラソンの野口みずき、ハンマー投げの室伏選手、ナゴヤ球場、風のそよぎ、盆踊り、三尺玉花火・スターマイン・ナイアガラ・芸術花火、たる舟、落石防止用のフェンス、渡鹿野(わたかの)島、和倉温泉、城崎温泉、日本海、太平洋、北アルプス、町の明かり、草取り、適量の雨、花火……

 やがて、「いらないもの」と「いるもの」が書き連らねられたノートから目を離した老いぼれ男は、まるで宝物でもしまうように、一度口を尖らせ軽くキスをしてから、その帳面を買い物袋に入れた。魂の私はそれを見ながら、ニンゲンたちは環境に弱くなっている、本来、人間を取り巻く環境で夜が明るい方が過ちだ。夜は元々暗いものだ、暗くていい、などと独り愚痴ていた。

 老いぼれた男がとぼとぼと歩いていたのには、訳があった。
 彼が大切にしていた妖怪猫、こすも・ここが男が炎上する前のきのうから見当たらなくなったからだ。路上に時折、立ち尽くしながらまた歩き出して愛猫を探し回る老人。その傍らを、右手でたばこをプカプカと白い煙をふかしながら、左手で携帯を持ち画面に見入る若い男が何事もなかったように、通り過ぎていった。
 白いボールが飛んできたのは、男がちょうど公園広場の一角に足を踏み入れた、まさにその瞬間で老いた、こすもが草の茂みからボールを追って走ってきたのは、その時だった。男は、まさかという笑顔でこすもの方に視線を投げかけたあと、今度はゆっくりと自らにも言い聞かせるようにウンウンとうなづいた。こすもは、ことし十四歳になる。人間の年にしたら、一体いくつなのか。かなりの高齢であることだけは間違いない。彼女もウンウンとうなづき返しながら嬉しそうに頭を男の足にこすりつけてきた。
 こんな愛猫、こすもを男は常日頃「おまえは人間と何ら変わりがない、だから人間猫なんだよ」と、その姿を見るたびに、頭を撫でながら、そう語りかけたものだ。
 白いボールと一緒に突然現れたこすもは頭をこすりつけたあと、今度は大きな目で男の方を向いて立ち止まり、まるで恋人にでも会ったようにニャア~ン、と甘え声でひとこえ鳴いた。

 私という人間が炎上した二週間後―
 日本列島はしばらく猛暑が続いたあと、なんと今度は思いもしなかった寒冷前線に何日もの間、覆い尽され雪が深々と降り続いた。雪はいっとき風雨と雹(ひょう)を伴い荒れ狂った雷雲が去ってまもなく不意にこの地上にそれこそ、地球が破滅するほどの勢いで降り始めたのだった。白い雪が日照った大地を冷やすようにどんどん、どんどん、どんどんと降り積もっていった。
 「夏の雪」が降るだなんて、おそらく人類史上初めてのことに違いない。天が割れてしまったのか。このころになると、生前の私と妖怪猫こすも・ここの間で公園の一角で交わされた、あの一瞬の視線が死後の魂に宿ってしまったようで私は知らない間に、彼女の目に吸い込まれ、中に入ってしまったようだ。
 まさか、私の死後の魂と人間猫、こすも・こことが、これほどまでの仲になるだなんて。どちらも思いもしなかったに違いない。白い雪の壁が消え、しばらくすると、そこには猫の目で人間観察を始める私がいた。

 こすも・ここの名前は私が生前、あるたけの知恵を絞ってつけた名前だ。宇宙という自然界の片隅に、それもこの悠久の世の中からしてみれば点にすら当たらない「こすも」という一匹の猫が現に生きている、といった私なりの死生観から名づけられた。
 極論を言うなら、人間であれ、猫であれ、何であれ、生きていることには変わりない。むろん、ゴキブリだって、ボウフラだって、メダカだってだ。その証(あかし)にこんな都々逸(どどいつ)まである。
 ―ボウフラが 人を刺すよな 蚊になるまでは 泥水のみのみ 浮き沈み
 森羅万象、ハエやダニの一匹まで、もの皆すべてが、きょうという日を懸命に生きているのである。実際に生きることは相当なエネルギーを要することだ、というのが私の哲学だ。
 だから、何がよくて何が悪いか、もいちがいにはいえない。敢えて言うなら、この世のものすべてが悪くはない。それぞれが必死に生きているのだ。また、そうしたいきものたちの中の何千、何万、いや何億分の一に当たるのが、人間界だと思う。でも、こすも・ここに言わせれば、この見方は全くもって取るに足らないはずだ。彼女たちには、また彼女たちなりの論理があるのかもしれない。

 こすも・ここは、先ほどから人間の目になって目の前の光景に見入っている。心持ち首をかしげ口を真一文字に結んで、いつものように両手を足元できっちりとそろえて、視線を一点に合わせる表情は私が生前見ていた、こすもと少しも変わらない。ただ加わったのは、こすもの視線に私の魂が混在し宿っていることだ。
 そんなこすもが突然、毅然とした眼差しで立ち上がった。何やら、盛んに掴もうとしているのは、人間たちである。ここでは嘘のような本当の光景が繰り広げられている。こすもは知らぬ間に巨大猫と化し小人(こびと)のような人間たちを両の手で抑えこむと、こんどは研ぎたての鋭い爪と牙で肉片を頭、首、胸、腹、腰、ペニス、足、手……と食い千切って一つひとつ捌き、うまそうに食べていった。食べれば食べるほど、その口の中の舌までがだんだんと幾何級数的に大きくなっていく。モグモグ、モグモグ、モグモグと満足そうに食する音が今度は彼女の目の中にいる私の魂にまで不気味に聞こえてきた。
 「人間がなんだ」「人間が如何(いか)ほどに、というのか」「わたしたちだって必死に一瞬、一秒を生きているんだから」「わたしの爪と牙を見ろ」「人間どもはなんで、そのように食い千切られているか、をよく考えろ」「この世のなか、おまえたちだけのためじゃない。忘れてもらっちゃあ困るね。この世のいきものの中で、他のどんな生物に比べても罪悪感の多い人間たちもとうとう炎上して消えるんだ」
 ふぐふぐ、ムニャムニャ。ふぐふぐ、ムニャムニャと彼女のはしゃぎようときたら、留まるところを知らない。目、手、足、顔とだんだんと大きくなってきた。気がつくと、そこには、こすもの妹であるシロ、タンゴ、そして昔、能登半島で共に暮らしたことがある、あの愛猫テマリちゃんまでが、かつて私たちと関わった猫という猫が全員集合して寄ってたかって人間どもを食い散らしているではないか。みな巨大猫と化し、お腹のなかは、ゴロゴロ、ゴロゴロ、ニャン、ニャンとご機嫌さまだ。
 私はこうした惨状を目の前にし、これは猫たちの人間社会に対する氾濫、いやいや逆襲にほかならない。いよいよ、人間たちが消される日がきたのだ、と漠然と思っている。それにしても、猫たちの、この怒りときたら一体どうしたことなのか。

 惨劇に遭った人々は、日本人ならたいていは知る世界のリーダーや日本の政治家、国家天下を論じるマスコミのエセ人間たちばかりだ。猫たちは、白い雪に赤く染まった小人(こびと)人間を何度も何度も足で踏み潰し、踏み潰すほどに一匹一匹が信じられないほどにますます大きくなっていくのだった。ムギュムギュと押し潰され、いとも簡単に食されてゆく。雪の世界に血しぶきをあげ鮮血が噴き出る光景は、想像を絶する異界そのもので巨大化したマンモス猫たちはそれでも「温暖化がなんだ、と」「環境破壊が、どうしたのだ」「みーんな、おまえたち人間の仕業ではないのか」と叫んでいる。
 魂はどうしてよいものか、が分からない。とんでもない魔界に入り込んでしまったようだ。

 こすも・ここの目は、その一方で集中豪雨で増水した川の氾濫や嵐、大地震の惨状も見ていた。両手をそろえて座り、口はグイと結んだままである。川の氾濫が民家という民家を押し流してゆく。嵐が、愚かなミサイルも含めたありとあらゆる飛行物体を撃ち落とし、大地震がとうとう新幹線までを転覆させ、何百、何千、何万、何億人もの命を一瞬のうちに奪い取った。私という魂は空中に浮かびながら、自身が一体生きているのか、いないのかが分からず意識が朦朧かつ混沌としていることだけを、おぼろげに感じている。

 今度は、こすもの目の中から飛び出た私の魂がこの世の中を自由奔放に浮遊し始めた。
 浮かびながら、一体全体、人間といういきものがどんなものか、想像を巡らしている。
 いきなり、浮遊する私に向かっていつもの女がポツリポツリと終わりのない時計の秒針音のように語りかけてきた。
「本来、夜って、暗いものじゃない。七夕消灯という発想事態おかしいよ。当たり前のことをするだなんて。人間が壊れている証拠よ。自然に無理させちゃあ、いけないんだってば。ただ、それだけのことなのに。なんで一酸化炭素を二〇五〇年までに五〇パーセント削減だなんて、小手先だけの議論になるの。第一、削減出来たかどうか、をどうして調べるのよ。それ以前に、それこそ人間の叡智として、まず実行に移すことがあるのじゃないの。たとえば、夜間九時以降はすべて消灯しちまうとか。行灯(あんどん)や提灯どころか、蝋燭(ろうそく)の火さえあれば、暮らせるじゃないの。昔の人々は、それで十分生きてきたじゃない。」
「元々、夜は暗いものなのだから。そこへ人間たちの都合だけで強引に光を投げ込むなど、もってのほかだわ。ムードも何もあったものじゃない。自然に無理させちゃあいけないんだよ。だから、セックスレス世代が増えちまう。第一、明かりばかりの場所なんて、ムードも何もあったものじゃない」
 私の魂全体が女の口から何度も繰り返される「夜は暗いもの」「自然に無理させちゃあいけない」の言葉に洗脳されていった。

 こんどは私の口から発せられる妖艶な独り言が、どこからか<かぜ>に流れて聞こえてきた。
 ーきのう、私は夢を見た。星の下の渚に互いに若い裸体を沈め、あなたと久しぶりに激しく抱き合っている、チャポチャポという波の音。そのなかで二人は夢中に上になったり下になったりし、互いに乾いた唇を吸い求め、髪の毛一本まで、男と女の、その部分を何度も何度もまさぐりあい、時には交互に手荒なほどに舐め回し、これ以上にはないほどに激しくもつれあっている。そんな夢である。
 人魚のようなあなた。ひと息つくと、赤いバラを口にしたあなたは、大きく片足をあげ、全身をくねらせ右手を空に向けてあげた。仰向けに浮かせた白い豊満な腰がくねる。酔ったように片手をあげたまま、月光の下、私から、その部分のの愛撫を受ける姿は、たったいま生まれ出た芸術作品そのもので私は全身を硬直させ、あなたのその中に足をはさんでのたうつように突進していった。
 やがて二人の性交がおさまると、いったんうつ伏せになったまま死んだように動かなかったあなたはこんどは一人、静かに立ち上がった。月光に映えた黒髪と裸体、指の一本一本までがこの地上に影を落としている。なんと美しい光景だろう。
 海辺なのにこんどは不思議と私たちの耳元に川の流れがせせらぎとなって聞こえていた。どこかしらから、私が吹く篠笛の音が流れてくる。その音は海女さんたちが海のなかで吹く息遣いともいえる、あの呼吸だ、磯笛のように大きくなったり小さくなったりしながら順々と、こちらに近づいてきた。笛そのものに人格が宿されたような、 そんな哀愁を帯びた音曲でもある。
 ヒューヒュッヒュッヒュー、ヒューヒュッヒュッヒュー…ヒュヒュヒューヒュ、ヒュヒュヒューウヒュッ
 透明感のある音がますます近づいてきた。
 時折吹くかぜに、私は思い返したように、あなたの頭髪や顔、耳、わき、手、足、さらには腹部から腰、手足の爪先、足の裏へと息をふきかけ、そのつど愛を確かめるようにその部分を噛みしめてみる。やがて、ふたりは立ったまま再び結ばれ、あなたは上半身のけぞり返ってのたうつ。 私たちは、これ以上の愉楽はないというほどに嗚咽し歓喜の世界に、どこまでも深く底の底まで堕ちていった。甘美なあなたの身心を得れば、もはや何もいらない。
 気がつくと、今度はふたりのシルエットが映像となって月光の下の見えないカーテンに映し出されていた。あなたの消え入りそうな、しかも宇宙の果てまでも聞こえそうな微かな、よがり声。五本の指と爪がカーテンの右と左に大きな影となって映しだされる。白い裸体といきものそのもの、とも言える両手の影絵。そればかりか、ふたりの裸体が余韻となって月光のなかにほんのり照らし出されていた。
 どこからか、また笛の調べが聞こえてきた。
 そういえば、かつて私とあなたは、河畔や公園、海沿いの砂浜や渚に互いの裸体を横たえ、幾度となく肉体を貪りあった。愛に溺れ、涙まみれとなり互いに甘いひとときを過ごしたのは、もう何年前のことだろう。そこには自然と同化する美しい原色の世界があった。決まって、篠笛を海とあなたに向かってふいたものだ。音曲は男はつらいよや、夕焼けこやけだったり、越後獅子、さくら、天城越えだったりした―

 ここで魂はふと我にかえり、これまでの独り言が夢想の想像セックスだったことに初めて気がついた。そういえば、魂だけになってしまった今、セックスという世界が随分と昔のものだったような気がしてならない。ふと、温暖化防止以前に、人間本来の深くて広い性愛の方がずっとずっと貴重な営みに思われてきた。


 
 それでも私の魂は、まだまだ健在で陽炎(かげろう)の如くこの世に、フワフワ、モヨモヨ、サワサワと浮かんでいる。そして浮かびながら、毎日毎日いろんなことを考えている。

 突然、話が変わってしまう。魂という私は悪い癖で相変わらず、毎日、それがまるで日課ででもあるように新聞の活字に目を注いでいる。視線の向こうには、いま人間たちが真剣に話しあっている温室効果ガスの削減とやら、北京オリンピック開催を前にした現地の厳戒ぶり、そしてニンゲンたちの叡智が結集された開会式、その後の熱戦、さらには甲子園での熱闘の模様などが映し出されている。あのおそ松君、天才バカボンで知られた漫画家赤塚不二夫さんの悲報も報じられている。でも、今となっては、どんな報道であれ、私には関係ないことだ。どうでもいい気がする。
 そんなことより、私は愛猫、こすも・ここの目の中で魂そのものが次第に妖怪となって膨らんでゆく自分を感じていた。
 いまから思えば、私という人間が炎上した、あの時こそが、人間たちがその存在感すべてを失い、蛆虫(うじむし)同然と化してゆく分かれ目だった。確かにあの日は他の人間たちも悉く炎上し、人間という人間が我侭三昧に暮らしていた、そうした自堕落極まる世の中そのものが消えていった。自然の流れに逆らい続け、文明や科学社会の創造ばかりを連呼し自分たちの快楽ばかりを追い求めた結果が、自然界のしっぺ返しとなって現れたのだ。 おそらく、あの日、地球上のありとあらゆる人間どもが豪雨と雷鳴がとどろくなか、火炙(ひあぶ)りの刑を受け炎上して逝ったに違いない。大人も子どもも。男も女も、だ。神の沙汰は、炎上の際、痛みと互いの哀しみ音だけは抜き取ってくれたようだ。

 私は、ここでつくづく思う。
 人間たちは、やらなくてもいいことばかりをやらかしてきた。コンクリートの舗装道路を剥いでまた、そこに舗装路を張りつける。勿論、耐用年数が来たから、ということもあろう。でも、素人目にも舗装路は、明らかにまだまだ使えるのである。愚かとしかいいようがない。これでは徒労ではないのか。僅かな救いは、そこで働く工事業者の生活の糧が得られたということだけだろう。でも、こんなに早く舗装道路を張り替えるぐらいなら、いっそのこと、せめて一角に緑地帯とか水辺でも作るといった、そういった知恵は働かなかったものか。

 ともあれ、人間といういきものは、誰もがそれぞれの自意識の中で身勝手に生きてきた。だから正直言って、家族とか、よほど親しかった人でない限り、誰が死のうと表面をつくろうだけで実際は関係なかったのかもしれない。
 一方で本当は我関せずでいたいのに、見栄を張る。見栄が虚飾を生み自分をよく見せようと背伸びをする。そこに無駄、無駄、無駄の連鎖が起き、これらが雪達磨(ゆきだるま)のように巨大化する。今では誰もが常備薬以上に手にし通しの携帯電話しかり、着ているものしかり、持っているものしかり、話すこと、見るもの、食べるものと、すべてがしかりの、虚飾の世が蔓延している。人間の心ばかりが虚飾という空気で風船を膨らますように、ぶくぶくぶくぶく、プクプクプクプクと膨れあがってゆく。
 ただ、救いがないこともない。本を読んだり、字を書いたり、農業にいそしんだり、声を出して歌などを唄ったり、楽器を奏でたり、お酒をともに飲んだり、フォークダンスや社交、ジャズダンス、フラメンコ、民謡などを踊ったりする。ほかに神社境内などで行われる盆踊りやコンサート。これらは虚飾じゃない。人間本来が持ち合わせた、天才バカボンたちも盃を手に「これでいいのだ」と驚くほどに捨て難い、よきものだと言ってよい。
 人間出身なのに猫の目に妖怪変化し、人間の悪口ばかりを言う私の愚痴は、さらに輪をかけ批判の度合いを大きくしてゆく。

 薄情といえば、ある日突然に知人の死を知らされたところで誰もがうわべではご愁傷さま、と手を合わせるものの、内心は意外と淡々としている、ベロを出している、そうした現実だ。他人(ひと)事でなく、私とてそうだった。そして人間誰とて死んでしまえば、それまでの貴重な命が一人当たりたかだか三千円~一万円の香典で儚く夢幻(ゆめまぼろし)と消えてしまうのだ。俺だってそうなんだよ。
 あぁ~それなのに。皆がみな、黒い喪服に身を包んで亡き人に頭を垂れ、手を合わせて拝む。それはそれで結構だが、これとて私には無駄が多い気がしてならない。数珠を手に心安らかに亡き人を黄泉(よみ)の国に送る。このことは確かに大切だが、夏のカンカン照りのさなかに、どうしても喪服を着込む必要があるのかないのか。どんな批判を受けようが、私はノーと叫びたい。
 せめて私の葬儀だけでも、と生前、「父からの遺言状」として子どもたちだけに、書き残しておいた遺言状がある。こんな内容だ。
 ―みんな、私が死んだら決して喪服による葬儀はしないように。黒い服をそろいもそろって着て葬儀に参列していただくことが、死後の私の魂を撹乱するからである。
 これは現実の人間社会では暴言かもしれない。
 それでも喪服を着て葬儀に参列することが日本文化だと信じる人たちが喪服で出てくださる分には、それはそれで嬉しく思う。ただ私が言いたいのは、たとえば夏の暑い日に、土砂降りの雨の日などに、わざわざ体に重たく感じる服を着て来てもらうのが心苦しいのである。
 それから、なぜ喪服なのか、とも思う。これこそ「なんて礼儀知らずな奴だ。馬鹿もん」と一笑にふされるやも知れないが普通のラフな服装でいいではないか、と思う。生前、亡き人との思いが染みた思い思いの装いで葬儀会場に出るというのは、どうだろうか。
 浴衣でもドテラでも、背広でも、スポーツシャツでもジーンズでも、ミニスカートだってよい。ドレスや着物でもおかしくない。大歓迎である。数珠は手にした方が良いとする人なら、手にしてきたらいい。とにかく今の人間たちのする枠にはまった型通りの葬儀が私にはあわないのである。喪服などというものは、私の葬儀に関しては無駄なのである。
 それより、亡き主人がいつもかわいがっていた猫ちゃんがいたら、その彼女を同伴して来てくれた方が、もっともっと嬉しい。たとえば、こすも・こことか、もう一匹の愛猫シロがいたら、葬儀場も一段と個性的なものとなるだろう。
 欲を言わせてもらえば、もうずっと前に死んでしまいはしたが、小牧に居たころ一緒に住んでいたわが家の番犬・ポチとか、能登で共に暮らし大垣で交通事故死したテマリちゃん、能登で飼っていた兎のドラえもんちゃん、こうした亡き家族の骨壷を持って来てくれるなら、なおさら嬉しいのだ。
 そして当日は次のように経を唱えてくれたら、もはや何も申し分はない。

 佛家大事の因縁は 生(しょう)を明(あきら)め死を窮め
 生死(しょうじ)即ち涅槃(ねはん)ぞと この理(ことわり)を証(さと)るべし
 身を観ずれば水の泡  命おもえば月の影
 ひとり生れて独り死す 生死の道ぞさびしけれ…(修養心鑑・発菩提涅槃章より)

 遺言状とは別に、そういえば、定年後に周りから受けた、あのどうしようもないほどに冷たい視線。あれも私にとっては、屈辱そのものだった。が、これとて私一人の勝手な思い込みで、周りの人々はそんなことはつゆほど思っていなかったや、しれない。案外あったか、かった気もする。
 人間の感情というものは、所詮一人合点で、こうしたものかもしれない。それでも私はまだまだ新聞に書くという貴重な仕事を与えられ、内心「俺だって、まだ第一線で原稿を書いて働いているんだよ」と自らに言い聞かせる。納得させること自体が、既に被害妄想かもしれないのだ。
 人間とは、なんて厄介ないきものなんだろう。

 魂の回想は、まだまだ続く。
いま振り返るに、自らの体験から言っても、人間が大きく変わるのは、やはり人生の節目を迎えてからの気がする。これは生前の私自身にも言えたが、この社会、ごくごく運の良かった一部を除き大半の人間たちがある年を境に、たとえ引き続き働くことになろうが、給料は当然のように、まるでエスカレーターからガタンと突き落とされるように激減する。そうなると、生きてゆくには、それまでの僅かな蓄えと年金だけが頼りだ。が、その年金とて近ごろでは国家による年金泥棒にあい、年寄りになればなるほど、より大きな税引き負担という新たな悪魔に脅かされ、おぼつかない。
 組織のなかの位置づけもそれまでのラインに乗っていたころとはほど遠く、どこかで仲間はずれにされ、疎外感がつきまとう。人間としての存在のありようそのものがガラリと様変わりしてしまうことも事実だ。それまでは何かとこちらを向いていた輩(やから)が、踵(きびす)を返すように背を向け離れてゆく。
 まるで人間の価値そのものが奈落の果てまで真っ逆さまにどこまでも堕ちてゆくような、そんな錯覚にさえ陥る。人間そのものの価値までが下がってしまうのだ。人は、それでも生きてゆかなければならない。実際、私はそうした中で、つい先ごろまで生きてきただけに、いましみじみと人間社会の冷酷さと身勝手を思うのである。
 でもさ、と魂の私はまたまた人間というものをあらためて検証してみる気持ちになった。

 行き場を失ってしまった私は見えない存在のまま、空中で大きくひと呼吸した。すると、そこには夥しい人間たちが、まるで何コマもの映写フィルムのように次々と、大画面に姿かたちを替えて写し出されてくるのだった。
 ―少年のころの山や川。朝食を囲む家族。路上で繰り広げられるカッチンダマ遊び。白黒テレビに大相撲。集団登校する子どもたち。木曽川河畔。物干し竿に洗濯物。自転車で通う中、高校生。赤い夕日。校舎。時計台。鞄を手に背広姿でバス停に向かう男。道路を走る車。ヒボの曼荼羅(まんだら)寺。カラーテレビ。能登半島は七尾の一本杉通り。日本一大きいデカ山。和倉温泉の3尺玉花火。七夕祭り。アーケード街。ちいさな町のリサイクルショップ店。愛栄通り。交差点。電車から吐き出される人、人、人。地下鉄を降り階段を上り、社に向かう男。取材ヘリコプター。新聞社の編集局内。つい最近町の映画館で見て感銘したスタジオジブリの宮崎アニメ映画「崖の上のポニョ」、そして高層ビルのその向こう側には雲ひとつなく、青空が無限に広がっている……
 みな、いまとなれば懐かしい光景ばかりだ。

 そういえば、いつだったか、私は千葉であった義姉の母君の葬儀に向かう途中、東京駅での光景を、次のようにメモ帳にしたためた。
 ―きょうも無限の人々とすれ違った。それこそ、夥しくも多くの人々と、だ。ましてや、舞台は大東京駅。私は、この日、何千、いや何万人もの人々と互いにひと言の会話を交わすこともなく、アッという間にすれ違った。もはや、おそらくは二度とこの世では会うことのない人たちばかりである。

 独り悦に入ってこの世の不思議さに思いをはせていると、こんどは画面の視界がガラリと開け、色彩感にあふれる光景が目の前に現出した。
 先ほど来からの山や川、凧揚げ中のタコ。朝食、洗濯物、リサイクルショップ、小学生、自転車、車、地下鉄、高層ビル……の類(たぐい)が一つところにまとめられ、まるで宇宙遊泳でもするように逆転し、ドンどこドンどこと、それまでとは全くかけ離れた世界へと、一気に逆流し大渦巻に吸い込まれ、そのまた奥深くに引きづり込まれていった。
 しばらく漂流し気がつくと、今度は一変し、目の前に深海が広がっているではないか。大小無数の魚が自由奔放にグイグイと力強く泳ぎ回っており、海草という海草もユラユラと伸びやかだ。そして今の今まで地上にいたはずの人間たちがすべて消えていた。そこには代わりに、それまで人間たちが生活を共にしていた電気洗濯機やら白黒、カラーテレビ、冷蔵庫、食卓といった生活用品から、町並み、スーパー、アーケード街、地下鉄、バス、新幹線、エスカレーター、高速道から飛行機までありとあらゆるものが、それこそ夜の闇、いや深海に浮かぶ百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)の如く浮かんでいた。
 どの物体も化け物と化して波の間に間を、ユラユラ、ユラユラと悪さでもするように動き、はしゃぎまわっている。
「海といういきものは、悪という悪のすべてを妖怪にしてしまうものなのか。」
 私は壮大な深海の光景に圧倒され、目を疑った。

 と、今度は気が遠くなるほどの大海原に人間たちが映し出された。そこが大魚に悉く呑み込まれた異界であることは何を隠そう。そこにいる人間たちが一番に自覚し、また知っているのである。私自身はといえば、自らの目に当初、深海と映ったその場所が実は魚の体内だったということに気付いたのは、それから間もなくしてからだった。
 目を水平線に転じると「ざまぁーみろ、いい気味だ」といった魚たちの声が波の間から音楽を奏でるように無数の泡ぶくと共に聞こえてきた。「どれほど多くの私たち魚が、人間の手で捕獲され自由を奪われてきたことか。ある者は家族や恋人までを失い、おまけにわれわれの魚体を食いつぶすなぞ、あってはならないことをどれだけの人間たちがやってきたことか。我々はそうしたあくどい獣たちを許すわけにはいかない。」とも。
 貪欲(どんよく)極まりない人間たちは、こんどは魚たちの逆襲にあっていたのである。やがて<深海>に住む人間と言う人間が大魚の歯に切り刻まれ、赤い血と言う血を海の人間牧場に大量に流し「いやだいやだ」とかぶりを振りながら大きな声で泣き叫ぶ。そこには、腕白時代を共に過ごした、あのター坊やヨッちゃん、チカヒロ、銀坊、美智子にしゅん坊、和代たちもいるではないか。みな、「いやだ、いやだよぉ」と大声で叫んでいる。
 やがて、これらの悲鳴と絶叫がおさまり、眼前には人間たちの遺体が累々として海底に山と沈殿してゆく。そんな姿が次々と大きく眼前に迫りきた。私という魂は、ター坊たちを助けようにも助ける術ひとつ分からないまま、ただその場に浮かんだままでいた。
「人間たちだって捕獲したあげく、刺身包丁で魚という魚から、伊勢エビ、貝類まですべてのいきものを切り裂き、いのちまでも食してきたではないか。これぞ、お互いさまだ。」
 海の番人である魚や貝、海草たちは、みな、こう口々に叫んでいる。ニンゲンを許せない。あなたたちをを許すわけにはいきません、と。
 海が一瞬の閃光に包まれ、地球が大音響とともに破裂したのは、そのときだった。

 二〇〇八年八月十日。
立秋(七日)は、とおに過ぎ、前夜来の雹まじりの雷雨もやっとおさまり、猛暑と炎熱続きだったこの地上にも時折、心地よい風が吹き始めた。その日、魂と化したまま大気を浮遊していた私は何事か、ガタンという振動音とともに目覚め、元の人間に戻ったようだ。

 名鉄犬山線江南駅のプラットホーム。
 ―音も無く、最近出来たばかりの地下からプラットホームに急速度で上がってきたエレベーターの透明な鏡に、快速特急「セントレア」の出発を見守る男の姿が映った。どきりとして、よく見ると、そこにはめがねをかけた私の普通の顔が映っていた。吊り革を手に車内でノースリーブの白い腕も露わに立つ若い女に気付いたのは、その直後に乗った列車が動き出して、しばらくしてからだった。
 何げない日常生活のひとこまだ。

 私は帰りの電車の座席に背を横たえたまま急激な衝撃音で異界から異界に戻ってきた自分に感づき、ひと安心した。なんだかんだ、と喚きながらも人間たちはまだ まだ、この先も逞しく生きてゆくのではなかろうか。わが家の妖怪人間猫、こすも・ここの神秘的な目と魂からやっとこせ、抜け出た私はふと、そんなことを思った。
 そして、こうも呟いていた。
「帰ったら、頓珍漢(とんちんかん)な夢の中でまで私に付き合ってくれた、人間なら百歳をとおに超えたであろう、愛猫、こすも・ここに元気に生還したことを伝えてあげなくっちゃあ。むろんシロちゃんにも」
 あっ、そうそう。もうひとりの妖怪妻も私のことを心配しているに違いない。
 さあ、人間社会に帰ろうか。ねっ、!  
(完)

08/4/26