「レコード」 牧すすむ

 ファンとはこんなにも有り難いものか、と思わせる出来事があった。それは去年のこと、東北に住む一人の若い男性から電話があり、レコードを捜しているという。
 聞けば彼は演歌が大好きで、中でもあの大川栄策にぞっこんだとか。演歌離れと言われる年代にしてはいささか珍しい。が、まぁ、それはそれとして、話の続きはこうだ。
 筋金入りのファンを自認する彼のこと、当然、大川栄策のレコードは全曲持っているものと信じていた。ところが、ひょんなことから自分の全く知らないもう一枚が存在する事実を耳にしてびっくり仰天、慌ててあちこちのレコード店を尋ね回ったが、ついに見つけることは出来なかった。
 だが、幸いにもその曲は地名入り、つまり、ご当地ソングだったのだ。運が良ければそこで手に入るかもしれない。そう思った彼は早速地図を開いて捜査を開始したのである。
 ところが、調べが進むにつれてまたまたびっくり! 日本には同じ地名のなんと多いことか。この計画はあえなく断念。
 しかし、諦めきれない彼は次の一手を敢行した。直訴である。製造元のビクターレコードに直接電話を掛け、問い合わせたというのだ。果たしてその答えは──。
 「確かにそのレコードは出ていますが、かなり古いものですので捜し出すのは難しいですね」。頼みの綱もここで切れたか、と肩を落としかけた彼の耳に思いがけない言葉が──。
 「作曲者の名前は分かっていますから、直にお聞きになってはいかがですか。ひょっとして譲って頂けるかもしれませんよ」
 正に「九死に一生」、「地獄で仏」。彼はすぐさま教えられた名前から電話番号を調べ、逸る気持ちでのラブコール。それがつまり私への電話だったというわけである。     
 「エェ、その曲なら確かに私が作りました。でも随分昔のことですよ」。実際にかれこれ二十五年以上も前になるため、本人の私ですら忘れかけていた程だ。
 いろいろ話が進む中、「実はもう一曲、大川栄策の歌唱で私のレコードがあるんですが……」と水を向けると、「あぁ、それなら知っています。歌えますよ」と答えるなり、彼は電話をマイク代わりに得意満面な声で歌い始めた。これには私の方がいたく恐縮してしまったのである。
 そんな彼の熱意に打たれ、「捜しておきましょう」と約束した私は、部屋のあちこちを引っ掻き回し、やっと古い段ボール箱の中に数枚あるのを見つけ出した。そして、その旨を彼に告げると、まるで小躍りせんばかりの喜びよう。早速送ってあげたのは言うまでもない。
 程なくして彼からの電話。「お礼をしたいのですが、いくらお支払いしたらいいのでしょうか」というもの。
 「いいえ、差し上げますよ」と、私はその申し入れを丁寧に断り電話を切った。そして数日後、東北発の宅配便で立派なりんごの箱詰めが我が家に届けられ、添えられたメッセージには読み切れないほどに感謝の言葉が溢れていた。ファンとはここまで出来るもの。私は改めて彼等の存在の大きさを実感した。
 また同時に、そんな素晴らしい多くのファンに愛される芸能人達を心底羨ましいと、そう思ったものである。
 ただ、そんな歌手達の手助けとなる歌作りに、ほんのちょっぴりではあるけれど、係わっていられる自分の音楽人生も「これでけっこう幸せなんだな」と、赤く色づいた・・・りんごに皮ごとかぶりつきながら、しみじみと思い入るその日の私であった。

08年4月26日

「黒く塗れ!」 光村伸一郎

 ファンとはこんなにも有り難いものか、と思わせる出来事があった。それは去年のこと、東北に住む一人の若い男性から電話があり、レコードを捜しているという。
 聞けば彼は演歌が大好きで、中でもあの大川栄策にぞっこんだとか。演歌離れと言われる年代にしてはいささか珍しい。が、まぁ、それはそれとして、話の続きはこうだ。
 筋金入りのファンを自認する彼のこと、当然、大川栄策のレコードは全曲持っているものと信じていた。ところが、ひょんなことから自分の全く知らないもう一枚が存在する事実を耳にしてびっくり仰天、慌ててあちこちのレコード店を尋ね回ったが、ついに見つけることは出来なかった。
 だが、幸いにもその曲は地名入り、つまり、ご当地ソングだったのだ。運が良ければそこで手に入るかもしれない。そう思った彼は早速地図を開いて捜査を開始したのである。
 ところが、調べが進むにつれてまたまたびっくり! 日本には同じ地名のなんと多いことか。この計画はあえなく断念。
 しかし、諦めきれない彼は次の一手を敢行した。直訴である。製造元のビクターレコードに直接電話を掛け、問い合わせたというのだ。果たしてその答えは──。
 「確かにそのレコードは出ていますが、かなり古いものですので捜し出すのは難しいですね」。頼みの綱もここで切れたか、と肩を落としかけた彼の耳に思いがけない言葉が──。
 「作曲者の名前は分かっていますから、直にお聞きになってはいかがですか。ひょっとして譲って頂けるかもしれませんよ」
 正に「九死に一生」、「地獄で仏」。彼はすぐさま教えられた名前から電話番号を調べ、逸る気持ちでのラブコール。それがつまり私への電話だったというわけである。     
 「エェ、その曲なら確かに私が作りました。でも随分昔のことですよ」。実際にかれこれ二十五年以上も前になるため、本人の私ですら忘れかけていた程だ。
 いろいろ話が進む中、「実はもう一曲、大川栄策の歌唱で私のレコードがあるんですが……」と水を向けると、「あぁ、それなら知っています。歌えますよ」と答えるなり、彼は電話をマイク代わりに得意満面な声で歌い始めた。これには私の方がいたく恐縮してしまったのである。
 そんな彼の熱意に打たれ、「捜しておきましょう」と約束した私は、部屋のあちこちを引っ掻き回し、やっと古い段ボール箱の中に数枚あるのを見つけ出した。そして、その旨を彼に告げると、まるで小躍りせんばかりの喜びよう。早速送ってあげたのは言うまでもない。
 程なくして彼からの電話。「お礼をしたいのですが、いくらお支払いしたらいいのでしょうか」というもの。
 「いいえ、差し上げますよ」と、私はその申し入れを丁寧に断り電話を切った。そして数日後、東北発の宅配便で立派なりんごの箱詰めが我が家に届けられ、添えられたメッセージには読み切れないほどに感謝の言葉が溢れていた。ファンとはここまで出来るもの。私は改めて彼等の存在の大きさを実感した。
 また同時に、そんな素晴らしい多くのファンに愛される芸能人達を心底羨ましいと、そう思ったものである。
 ただ、そんな歌手達の手助けとなる歌作りに、ほんのちょっぴりではあるけれど、係わっていられる自分の音楽人生も「これでけっこう幸せなんだな」と、赤く色づいた・・・りんごに皮ごとかぶりつきながら、しみじみと思い入るその日の私であった。

08/4/26